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デジタル写真とフィルムを用いた写真の画像上の違いで、もっとも本質的ではないかと思われるのがノイズの特性だろう。フィルムの感光材料である銀塩は不定形の粒子かつ不均等に分布しているため、これがフィルムから焼き付けられた画像を独特のものにしている。不均等に並んだ銀塩粒子は、グラデーションの中間部で特に目立ち、これは現実世界の実態と異なるノイズと解釈される。一方、RGBG各色のフィルターを持つ4ピクセル1単位のセンサーが作り出すデジタル写真のデータは、画素が均一に並んでいるためフィルムの銀塩粒子のようなノイズは存在しない。その代わり、センサーから送り出された信号を増幅する過程などで付加された別種のノイズがデータとして保存される。
アナログとデジタルを問わずビデオ撮影された動画に顕著な妙な生々しさを嫌うゆえ、フィルムで撮影されたかのようにノイズを付加する場合がある。手法や表現はいろいろあるが、レンズが結像する面にすりガラスを配して、この像を撮影するケースは効果のほどが想像しやすいだろう。さらにすりガラスが回転するため一コマずつざらつき具合が変化するのだが、これは1コマずつ銀塩粒子の分布が違う状態を擬似的に再現していると言える。
意図したノイズか、意図しないノイズか、目的次第によって解釈が変わる。あえて手を入れない状態のノイズが好ましければ「意図した」ノイズと言える。スチルであってもムービーでもフィルムとその現像法は粒子感がすくないように、つまりノイズがすくないものを目指して進化した。だが、増感せざるを得ない状況で撮影した画像が「荒れているけれど臨場感がある」と見るものを圧倒する場合があり、表現技法として荒れた画像を得る手法も存在した。自然界に存在する明暗の階調そのものに近づける上では、銀塩粒子のノイズは意図しないものとなる。表現手法として荒れた画像を得ようとするなら、ノイズは好ましいものに変わるのだ。
デジタル写真が登場し実用になった辺りの時期は、デジタル特有のノイズはすべて排除されるべきとする考えが主流だった。また、現在もこのように考えている人が多い。一方で銀塩粒子をシミュレートするソフトウエアや、フィルム特有の発色と現像時のケミカルな反応をシミュレートするソフトウエアがある。ここで考えてもらいたいのは、銀塩粒子にしろケミカルな反応にしろ、自然界に存在しない階調や発色はかつてノイズであったという点である。すりガラスに結像した画像を撮影するビデオ装置と同類のものでもある。これらは、デジタル特有のノイズは排除するが、意図して別種のノイズを付加することで何らかの効果を得ようとしている。
デジタル写真特有のノイズを徹底的に排除した場合、現状ではひどく不自然な画像にならざるを得ない。その例をここに示す。(比較画像作成が目的なので、ノイズリダクションの有無以外の操作をRAW現像時に加えていない。元画像からリサイズする過程でPhotoshopを使用しJPEG化した)
これはとある人物撮影時の1コマからの切り出しだが、ノイズ除去を徹底し過度に作用させた場合、肌表現、ファーの質感が溶けたかのように消えているのが理解されるだろう。縮小画像でわかりにくい場合は、画像をクリックして原寸で見ていただきたい。なおノイズを徹底して消した画像は容量が小さいが、これはディティールが塗り絵状になり単純化されたためである。上掲の2枚は全画像からの部分的な切り出しなので、切り出し前の画像全体を縮小した場合は、ノイズを徹底的に排除したものでも通用すると判断されるケースがあるかもしれない(私はそれでも通用しないと思うが)。いまのところ、意図しないノイズとディティールの違いをソフトウエアは判別できないし、デジタル画像の意図しないノイズも画像の自然さをかたちづくる上で多少は必要な場合もあるのだ。
ここからわかるのは、ノイズ除去はRAW現像時に行い、ノイズリダクションの適用はケースバイケースで慎重に吟味しなくてはならないということだ。またデジタル固有のノイズは、目的にかなうなら必要なときもあると考えられる。意図してノイズを残し、雰囲気を生かす手法だ。
Fumihiro Kato. © 2016 –
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