2016-04-14

workshop26. 説明と構図

前回、構図における幾何学について説明した。今回は前回の続きだ。前回を未読なら、workshop25.を先に読んでいただきたい。

もう一度、前回の写真を提示する。

Scan-130527-0010

Editorial ❏ Reportage

構図

この写真の問題点は、レンズの選択と、選択したレンズに対するワーキンクディスタンタスと腹の位置ではカメラがやや高かったことだ。これによって男性が天秤棒で運んでいる荷物が画面下側で切られ見えない。だが男性の荷物にあまり興味がなかった人にセレクトされ、写真は組写真の一枚として中国四川省奥地の人々の日常を伝える役目を担った。余談だが、自分では痛恨のミスが他人には関係ないことが写真では往々にある。ここはかなり大切な点なので後ほど説明する。

この写真が伝えるものを挙げていこう。読者または鑑賞者の視点だ。
東洋人だ。たぶん中国人ではないだろうか。ぱっとしない、疲れた感じで天秤棒を肩にした男性だ。身なりはお世辞にもよいと言えない。背景に漢字の看板がある。やはり中国だな。男の後ろに露天商がいる。天秤棒の男も露天商だろうか。看板を掲げた店の前、歩道に他の人々がいる。普段着として、そこそこの身なりの人が右隅左隅にいる。どちらかというと、男が例外なのかもしれない。
結論=中国の同じ町の露天商どうしでも貧富の差がかなりあるようだ。町の人との間にも。貧しく見える人はやはり余裕がなく疲れている。
といったところだ。これが写真が説明しているものである。

では、天秤棒の男を最大限に生かすため右側の余白を完全にトリミングしたらどうなるか。これでも写真は成り立つ。ただ、看板が示す「漢字」の印象がかなり弱くなり、その看板が示す店? の正体もわからない。看板に代表される町に対するオチに相当するもの、この空間がどのような場なのかの説明に欠けた写真になる。ノーファインダー状態でカメラを腹の位置に設定し、周囲の様子と天秤棒の男をちらっと見て構図を決めたときの意図がほぼ満たされただけに、私としては男が運んでいる荷物が写し止められなかった点がくやしい。組写真の一部として他の人がまとめる上で、ここが中国であり、貧富の差が示すことができればよいとされたのだ。要するに、この人にとって天秤棒で運ぶ荷物の説明はいらなかったのだ。ただし荷物が貧富の差を示すもので、写真に画像として残っていたら喜んだのは間違いない。

この写真は上部を左の男の頭頂部で切られ、右をわずかに詰めて使用された。このわずかなトリミングで、不思議なことに天秤棒の荷物の存在が気にならなくなる。これもまた「説明」の一例だ。撮影意図と異なる事実の「説明」になったのだ。天秤棒の男は、後ろ姿の左の男、繁盛しているらしくジャンパーをまとった露天商、歩道にいる背広すがたの人物に取り囲まれて、資本経済が流入した時代の中国を表していると。
China構図
レイアウトを模してみると、だいたいこんな具合だったろうか。

構図には、見る者に印象として「緊張」「弛緩」「安定」を気づかせる幾何学的要素と、前述した「説明」の要素がかならず存在する。「緊張」「弛緩」「安定」は、幾何学的な配置と構成でほぼ決まる。だが「説明」については、より複雑だ。写真で可能な「説明」の方法は、何を見せたいか、何を省略するか、どこまで見せるかで、これらはサイズの大小であり、アングルであり、配置であり、同時に幾何学的構成である。

さらに難しいのは、その写真は隅々まで時間をかけて鑑賞されるか、ちらっと見て立ち去られるかわからない点だ。いや、ちらっと見て立ち去られるほうが多いから難しいとしたほうがよいだろう。ちらっとしか見ない人であっても鑑賞者に違いない。もし、ちらっと見ただけの人がまじまじと見ようと思い直したら成功だ。印象としての「緊張」「弛緩」「安定」が、ちらっと見ても伝わる要素だが、これだけでは内容は伝えられない。幾何学的な魅力だけで惹きつけられる場合もあるが、ここに説明の一端がなければじっくり見てもらうのは不可能だ。

同時に、写真的に説明しすぎると人は拒否感を覚える。または、どこをどう写真的に読んだらよいかわからなくなる。写真的に説明しすぎの場合は二つに分類され、ひとつは定型とも言える定番の組み合わせや構図、もうひとつは要素が数多い場合だ。定型、定番ともなっている被写体の組み合わせや構図は、鑑賞者の記憶に潜む過去に見た写真の情報を呼び覚まし、これが無意識化で反芻されるため「もう説明はいい」「それでも何か言いたいことがあるとでも言うのか」となる。その場にあるすべてを抑揚なく押し込んだ写真は、どこに視点を置いてよいか迷わせ「要領よく話をしろ」となる。

自分と自分の作品を客観視する姿勢ほど難しいものはない。仕事写真で仕上がりを急かされている場合であっても、一旦、作品を精神的に隠し忘れる段階を経たいものだ。理想は、一晩寝るだ。ラブレターを送るなら、寝て起きてから読み直せと言われるのと同じだ。

 

Fumihiro Kato.  © 2016 –

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