2016-04-03

Workshop21. 既存のアスペクト比を考察する

*フィルムフォーマットと、これを踏襲したセンサーフォーマットの取り扱いかたの過去と現在。
*デジタル化した写真のアスペクト比をどのように考えるか。

1.フィルム、デジタル双方からの印刷についてのおさらい
まずフィルムおよびデジタルカメラのセンサーのアスペクト比を比較する。

aspect

次に、A判、B判のアスペクト比を示す。

A_B

大判の5×7判アスペクト比は、A判、B判と同じだ。印画紙は1 : 1.2 または 1: 1.3(カビネ以下で 1:√2)だ。
このほか菊判、タブロイド判など系統の違う判型があり、アスペクト比はおおよそ 1:1.2〜1:1.5の間に収まる。

印刷コストを考えるとき、同じ用紙を使うなら、これら既存の規格に沿った判型であるほうが経済的と言える。したがって、デザイン上の特徴を出すため変形判になることはあっても、たいがいの雑誌は上記したアスペクト比から大きく外れることはない。ポスターもまた同様だ。ただし、建築物の側面あるいは屋上などに設置される看板は建築物の形状や、法規内で最大の視覚効果を出すため一般的な規格からはずれるケースがあり、これが普通でもある。

看板を除けば、媒体ごとのアスペクト比に対して紙媒体の広告はグラフィックデザインの微調整で済む。広告にしろ、エディトリアルにしろ、写真がノートリンミグで使用されるケースは稀れであり、程度の差はあるもののデザイナーによってトリミングが施される。とはいえ 5 : 7 に近い画像フォーマットであれば、切り詰めたり、拡大するため捨てる部分がすくなくなるので都合がよいのは言うまでもなかった。これがフィルムを使用していたときの感覚だ。

6×6判は正方形のまま使用しないなら、縦または横の判型にするために捨てる割合が大きいので結果的に645判同等のフォーマットと言える。フィルムのライカ判は印刷原稿にするには(製版時もデザインのアタリを取るのにも)小さすぎ、1ページ全面または見開き全面に使用するため 1 : √2 に近い判型にあわせると長辺側をかなり切り詰めなければならいため使い勝手がよいとは言い難かった。小さいフォーマットをさらに小さくすることにつながるためだ。ライカ判の有用性が増したのは写真のデジタル化以降で、アウトプットできる物理サイズをフォーマットの物理的サイズではなく画素密度が規定するようになってからだ。しかも、2000万画素を超えてからだった。2000万画素を超えるとA3にアウトプット可能で、新聞一面がA2であるので横にある柱(広告などを埋めるスペース)と下側にある広告5段を除いた部分を1枚の写真でほぼ埋めることができる。トリミングを考えると、最大でこの程度の大きさに印刷できないようでは新聞社はデジタルカメラを本格採用できなかったのだ。スポーツ紙の1面のトップ記事の写真はA3サイズはないとしても、やはりA3相当に出力できないようでは心もとないだろう。ちなみにA2全面を埋める1枚写真は、3500万画素以上必要になる。

ただし、そうとも言い切れないケースが多々あるのでややこしい。

まず1点めは、画素数とフィルムの粒状性を単純に比較できないことだ。高画素デジタル機のセンサー1画素は、銀塩粒子1つより微細なのは事実だ。だが撮影者、両方の現像者としての実感は画像構成要素1単位のサイズの差ではなく、デジタルは隙間なくピクセルが並んでいるが銀塩粒子は大きな隙間をあけて(てんでばらばらに)並んでいる点が味であり欠点でもある。1画素のサイズは2000万画素越えでフィルム粒子相当というのが先に示した印刷限界サイズの決め手だが、ぴったり敷き詰められたタイル状の1画素と隙間が多く団子状になったり粗になったりする粒子では、センサーのほうに分がある。印刷はアナログ処理のため、版を分解する際の形状、インクが付着する際に必ずしも分解した通りの形状にならないとしても、隙間ないタイル状のデータのほうが印刷サイズに伸びしろがあるように感じる。

Scan-11

画像に傷が入ってることからもフィルムからの切り出しとわかるだろう。WEB用画像に変換して意図が伝わるか怪しいが、これがフィルムの粒子の並びだ。モノクロ用としては粒子が細かい「Ilford XP2」をラボで現像している。XP2はカラーフィルム同様に感光色素を用い粒子の細かさと、粒子同士の高密度な並びを実現している。

次に2点め。画像拡大に用いるバイキュービック法のアルゴリズムが格段に進歩したため、丁寧に撮影し現像すれば3500万画素で新聞見開きも可能だ。フィルムを使用していた時代も、中判以上のカメラを持ち込めないロケーションではライカ判を使用し、かなり大きなメディアに印刷する例があったのといろいろ事情が似ている。いずれにしろ、3500万画素以上のセンサーが登場してようやくテジタルカメラがフィルム中判と入れ替わったと言えるだろう。また、新聞は腕の長さ相当の距離で眺めるため解像線数がそれなりに高くなければならないが、数歩以上の距離に離れるなら製版の解像線数を落とし荒い印刷で十分になる。3500万画素程度のカメラで撮影してビルボードのポスターにしても解像感がない、はっきり見えないといったことがないのはこのためだ。

現在の脅威は印刷よりモニター解像度の4K越えだ。PCのモニターの4K越えはまだまだ序盤だが、スマホやタブレットはとっくに4K越えしている。こうなると1000ピクセル×1000ビクセルの静止画像を表示するため2倍以上のサイズの画像を用意しなければならない。当サイトもこの問題に直面しているため、表示される画像に対して4倍の画素数(面積)の画像をアップロードしている。画像を様々なサイズで使い回すことや、将来的にモニター解像度があがるのを考慮すると、当初使用する際の画像1辺あたり2倍では使い勝手が悪いので所々3倍以上の画像を生成しなければならないのだ。

2. デジタル化後のアスペクト比
「画素密度がアウトプットできる物理サイズを規定する」時代になり、ライカ判だからトリミングで捨てる部分が多い、645だから何かと都合よく合理的といった評価はあまり意味のないものになった。5000万画素のライカ判と3500万画素の645なら、同じ描画範囲を切り出しても(それぞれの画質云々を除けば)ライカ判のほうが広大な画像が得られる。こうして考えると、2 : 3 だろうと 4 : 3 だろうとアスペクト比はなんでもよく、画素数や画質のほうが重要になったのは事実だ。

こうなると自らの手を離れたのちトリミングされるケースより、自らの作品としてどのようなプロポーションの画像を得るかが焦点になる。

撮影時にファインダー像いっぱいに構図を組み立てるのを最上とし、後処理でトリミングすることを嫌う風潮が写真にあるが、機械的にあたえられたアスペクト比に従うだけが写真ではない。ただファインダー等を見るときどうしても像のアスペクト比は気になるし、生理的に受け付けないものがあるなら他のアスペクト比をもつフォーマットにカメラを替えたほうがよいだろう。

では、撮影後のトリミングとアウトプットのアスペクト比を考えてみたいと思う。

フィルムに6×9というフォーマットがある。ブローニーフィルムで最大の面積のフォーマットで、アスペクト比はライカ判と同じ 2:3 だ。聞きおぼえ、見おぼえのない人が多いとしたら、集合写真屋さん御用達だったせいかもしれない。観光地で、入学・卒業式で、水平方向にたくさんの人しかもひな壇式に垂直方向にも人を写しこむとき 2:3 の比率は便利だったのだ。

縦または横に長く感じられるトリミングは、これら集合写真の構図にキモがあると考えてよいだろう。1. 長辺側に空白をつくらない。2. 要素の流れ、密度が長辺側に連なっている。1、2は横・縦いずれの構図でも同様だ。1に関しては他のフォーマットにも言えるが、 2:3 ではことさら大切だろう。セオリーを外すなら、それなりの構図的フォローが必要になる。たとえば次の写真だ。

a1-2B

Actor 80 ‘s

これは20代前半に撮影したものだが、いろいろやりたい時期だったのでセオリーをはずし人物の上に空間を配した。元は6×7で、これを 2:3 にトリミングしている。ただ空間を開けただけでは、どうにも絵的にまとまらない。そこで、人物が放つ比重(加重)を左端下方向に向け、もっとも空白度が高い右端上に電灯と暗がりの強いアクセント、右端上から左端下に向かう階段裏の造形といった要素を加味している。(いま思うと、電灯のスイッチの暗い長方形が人物の右にあり、これがかなり効いている。構図のバランスをなんとか取ろうと現場で必死だった自分が蘇る。要素を構成するため椅子のうえに乗って撮影している)

顔と電灯の丸みを結ぶ線、階段裏の斜線状の造形。これらが対角線を成し、斜め方向の「意味」を画像化している。つまり人物の上に空白はあるが、対角線いっぱいに画面を構成している。空間の面白さ、陰影のおもしろさ、動感といったものを出したかったのだ。冷静に分析すると以上になるが、4段増感でも6×7判ではかなりきつい暗さを手持ちで撮影していて、現場ではぶらさないだけでいっぱいいっぱいだった。

次は縦横の比がおだやかな 5×7 の例をみてみたい。

85_9a57

Baroque Film 80 ‘s , 90 ‘s

まさにこういったポートレイトのためにあるようなアスペクト比だ。
実はこの写真はずっとお蔵入りしていたもので、数十年間ボツ扱いだった。顔の比率がどうにも大きすぎる気がしたのだ。しかし近年、これでもよかったのではないかという気になった。むしろ、縦方向に1/2以上占める顔が必要だったのではと。

この写真は、わかりやい黄金分割のうえに成り立っている。では黄金分割を検討したい。ひとつめは、左上隅から唇の頂点を通る直線を引くと、この直線は短辺のほぼ√2の長さになる。つまり直線が右側の長辺に接する位置で、短辺と 1:1 になる。ふたつめは、右下隅からアンダー側の光る眼を結ぶ直線を引くと、やはり√2の長さになる。こうして、左側の密度のすくない領域の比重(加重)の軽さが右側と上側の重さに拮抗している。

また、これは偶然なのだが左上隅から右下隅を結ぶ対角線上に、耳のアウトライン、顎のアウトラインがある。被写体の耳と顎がふくよかに丸みを帯びていたら、この緊張感は得られなかっただろうと思われる。偶然を呼び込んでくれた直感と被写体に感謝したい。したがって、これ以上はトリミングできない。すくなくとも私にはできないのだ。

思うに、 5:7 のようにコロっとしたアスペクト比でフルフレーミングまたはトリミングで切り出すとき、静かな主題だったとしてもいかに緊張感や動きを出すか重要になるように感じる。ほうっておいても安定感があり、ともすると安定感だけで終わりかねないからだ。文章の組み立てに「序破急」の三段があるが、このうちの「序」は容易に獲得される。「破」と「急」を加味しないと躍動しないうちに、安定したまま終わる。 2:3 は安定のための加重分布が重要で、要素の引力を利用した。いっぽうコロっとしたアスペクト比内に絵をまとめる際は、なんらかの合理的均衡がなければとっちらかったままだが、縦横・斜めいずれかに動線を意識的に配したい。合理的均衡は、見るものの気持ちを調和が崩れる「破」から「急」速に納得または理解へ収束させるため必要なのだ。

Fumihiro Kato.  © 2016 –

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