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・人間の視覚、視野をはるかに超えたレンズは必須のものではない
・これらのレンズが本当に必要なのか、ただレンズが買いたいだけなのか
・必要なレンズであるなら使い方について考えなくてはならない
・三次元を強く意識しないとならないのが超広角レンズ
・人間の心理作用を意識しないとならないのが超広角レンズ
1.
ライカ判準拠の焦点距離で20mmと18mmの違いは画角差にあるのは当然だが、使い方=コントロールの仕方が変わってくる境界線が焦点距離2mmの差の中にあると意識的にならざるを得ない。
ライカ判準拠20mmは垂直画角62°、水平画角84°、対角画角94°だ。
同18mmは垂直画角67°、水平画角90°、対角画角100°だ。
同15mmは垂直画角77°、水平画角100°、対角画角111°だ。
20mmが記憶による補完を含め、見えてはいないが気配を察することができる範囲に及ぶ画角だとすると、18mmは気配の外側に達する画角と言える。
漠然とした視野、人間にとっての静止状態での最大視野に近い28mmの垂直画角46°、水平画角65°、対角画角75°と比べると、いかに画角が広いかわかる。
20mmの画角はファインダーの隅々まで見回さないで撮影しても想定外のものが写り込むのはまれだが、18mm以下では肉眼で捉えきれないものが画角の周辺部に存在するため想定外のものが写り込みやすい。
または、20mmの画角は撮影後に画像をチェックして意識していなかったものが写っていてもこれはあの場所にあったと記憶と照合し納得できるが、18mm以下では記憶にもないものが写り込み違和感の元となりがちである。
違和感はまだよいが、決定的に構図をだいなしにするものが写り込むことがある。あとすこしだけ前進したり、左右どちらかに寄っていれば余計なものが画面に入らなかったと後悔をし、トリミングした結果わざわざ超広角で撮影しなくてもよかったとなるの馬鹿ばかしい。
人間の水平に広い視界をもってしても横位置の構えで水平画角90°を超えたことで上記のようになるのだから、容易に目視できない縦位置での垂直画角90°以上は人体の生理感覚だけではコントロールしきれない広さなのだ。
2.
さらにやっかいなのは魚眼レンズになると像が歪曲していて当然になり、歪曲しているが故に水平垂直平行の厳密さが欠けていても画像として容認できる場合が多いのだが、比較的歪曲が大きいとはいえ歪曲収差を補正している通常のレンズでは水平垂直平行の狂いがとても気になる。また超広角ズームは便利そうに思えるが、歪曲が中途半端に大きく、焦点距離ごとに歪曲の形状や度合いが変わり、カメラ内補正をONにしても、RAW現像時に補正しても歪曲が残りがちだ。
歪曲はまっすぐなものが曲がる鬱陶しさだけでなく、補正しないままなら見るものの遠近感を微妙に狂わしたり、補正しようとすると一箇所だけ正確さが増し別角度に存在する歪曲や、気づかなかった奥行きや高さ、平行関係の狂いに目が行きがちになり実に邪魔なものだ。
では20mmレンズの特性を記す。
20mmレンズが描くパースは肉眼で見たままより誇張されているが、まだ水平垂直平行をコントロールしやすい。とはいえ「まだコントロールしやすい」のであって、水平垂直平行の関係が煩雑に同居した状況を撮影するとき、広角レンズに慣れていない人は決定的な失敗を犯しがちだ。わずか1°、0.5°の傾きや平行関係のずれが、画像上で大げさなズレとなって現れるからだ。
したがって20mmをコントロールできないなら、人間の肉眼をはるかに超えた超広角は使いこなせない。
ところが、かつては超広角18mmというだけで緊張せざるを得なかったが、現在では単焦点だけでなくズームで18mm超広角が珍しいものでなくなった。
珍しいものでないのだから、18mm以下の超広角で撮影された写真を見る機会が増えている。見慣れているのだから、画角の広さやパースの誇張は非日常的な経験ではなくなっている。
こうなるとレンズのカタログや作例を見てもさほど敷居の高さを感じない。しかし、そうそう容易く扱えるレンズではないのだ。
超広角レンズは扱い慣れているか否かで、撮影結果に圧倒的な差が出る。
だからまず人間の感覚とシンクロしやすい20mmをマスターするのが重要なのだ。
手ぶれ補正が実装されてから望遠レンズの扱いは以前よりかなり容易くなっているうえ、望遠レンズは遠くに見えているものを引きよせる意図があって焦点距離が選択される点や、遠近感が圧縮され多少の水平垂直平行がズレても誤差が縮小し、ボケで煩雑さを省略できるので構図を決定しやすい。
手ぶれはともかく、他の要素において正反対の特徴を持つ超広角レンズはかなり意識的に撮影をしなければならない。
では18mm以下のレンズの難しさ記す。
超広角レンズで18mm以下の焦点距離では見えていないもの、記憶にもないものが写り込みやすく、わずか1°、0.5°の傾きや平行関係のズレで劇的にパースの在り方が変わるため意図しない結果を招きやすい。画角がとても広いため、ファインダー像の中に多くの情報が詰め込まれ、倍率が低くなることと併せてファインダー内では大丈夫と思っても、撮影結果が裏切られがちだ。
また前述したようにボケによる要素の省略が難しく、いくら最短撮影距離に主たる被写体を置いても背景の要素が画面をうるさくしがちで、さらに主たる被写体の傾きや平行関係が整っていても、背景にあるものが整わず構図全体でアンバランスになる場合もある。
この難しさのうち、高さ方向のパース、水平方向のパースの狂いはRAW現像時に修正できる(小さく描写された側を拡大するため修正後の画角はかなり狭くなる)。しかし被写体の奥行きに関しては、被写体に対して完全に正対していて側面が見えない状態を選択し撮影しているのか、側面が見えるように斜め方向から撮影しているのか、側面は右か左か、これらを入れ替える修正はいくらRAW現像でも不可能だ。左右を反転させても、他の要素との関係は依然として変わらない。
このように三次元を強く意識しないとならないのが超広角レンズで、望遠レンズは二次元的発想でも失敗しにくい、あるいは二次元上の発想から構図を構成しても上手くまとめられるとも言える。
3.
我々が生きている三次元の世界の立体像を、二次元に落とし込んで定着させるのが写真だ。三次元固有の遠近感が超広角レンズでは誇張されるのだから、立体をどのように平面に落とし込むかの目論見と、これを実現するための技能が超広角レンズには求められる。
同じ超広角レンズでも20mmと18mm以下の画角は別もので、三次元への意識の持ち方について頭を切り変えなくてはならない。
20mmの画角は目視できる状態や、記憶で補完されているもので構成された三次元の世界なので「まだコントロールしやすい」。
だが目視してできないものや、記憶にすらない範囲まで含む18mmから先の画角は、かなり誇張された三次元の世界を意識しないと想定外の結果に陥りやすい。
偶然性を重視して想定外のものが写り込むのが前提の撮影もあるが、画角をコントロールしきれないのと、コントロールできるが敢えてはずすのでは、結果は同じであっても意味はまったく違う。
いくら偶然性を重視すると言っても、コントロールしきれないで得た成果はラッキーだっただけで再現性がかぎりなく乏しい。偶然性に頼って使用するから、このレンズは成功率が低いとなる。
また、広大な画角を使う必然性についても自分自身に問い直したほうがよい。
たしかに圧倒的な遠近感の誇張は写真ならではのものだが、写真のテーマが遠近感の誇張では「人を遠近感で驚かす」ことが目的でしかなくなる。いまどき、遠近感の誇張だけで内容=テーマを支えられるはずがなく、驚いてくれるのは写真を見たことのない未開な人類くらいだ。
4.
水平垂直平行を狂わした作品を否定しないし、これらより重要な要素が写真にはある。
だが、レンズを使いこなせないのでは所有する意味はない。
どれほど技能が高い撮影者でも、水平垂直平行が課題となるのは同じで、その上で超広角レンズでは意図的に狂わすか、徹底的に正確さを求めるかしている。
超広角レンズは、単に巨大な物体を画角内に収めるためにあるのでない。超広角レンズは、主たる被写体と前景・背景の関係を整理するためのものと考え、この三者が存在する三次元の全体像を把握するとコントロールの勘所を手に入れやすくなる。
ここは重要なので繰り返すが、超広角レンズは大量の情報を一画面に収めるためのものと考えず、主たる被写体を大量の情報の中から抜き出して、他の情報との差で画面を構成するためにあると考えておきたい。
他の情報との差で画面を構成するには、奥行き方向に点在している物体の大きさの比率に注目し、これらの三次元上の位置付けを把握しなければならない。
もしここで敢えて水平垂直平行を狂わすなら、狂った状態を正常と見せてしまえるだけのセンスが要求される。
では具体的に構図取りの問題を考えて行く。
超広角レンズを使うとパースが誇張されることで、主たる被写体と他の要素のサイズ比が極端に異なる像が得られる。
サイズの比率が極端に異なれば、大小関係で画面が整理できる。
物体の大小で整理しないと、何もかもが乱雑に写り込んでいるだけになる。構図内を整理するためには、何を見せて説明したいのか、あるいは説明したくないか、まずはっきり目的を決めないと取捨選択ができない。
また超望遠と同様に、そこまで対象を絞り込んで写すほどのものか否かが重要になる。超望遠と超広角は漠然とした状況を撮影するのには向いていないのだ。漠然とした状況のままテーマをはっきり打ち出せる撮影を超広角で出来るようなら、相当技能があり、センスがあると言える。
28mm広角レンズを経験しているなら、20mmの画角で得られる奥行き方向のパースの誇張の扱いは難しいものではないだろう。けっこう乱暴に撮影しても無意識に構図内の整理ができ、まとまりのある構図が得られるはずだ。意外なほど、簡単と感じるかもしれない。
だが、18mmから先は主たる被写体を強く意識して前景を省き、遠景をはるか遠くに後退させた構図取りの撮影からレンズの特性に慣れて行くのを勧める。要するに、魅力的な被写体に可能な限り近づいて撮影するのだ。
奥行きの次に水平垂直平行方向のパースの誇張をコントロールする方法について考える。
こればかりは基本的なカメラの構え方の点検と、画角内に存在するものの位置関係と方向を正確に把握する以外に対処のしようがない。
現実の三次元の世界は立方体が規則正しく整列した状態にあることなど稀で、主たる被写体に対して水平垂直平行方向を正しても、他の物体のこれらが崩れるケースが多く、崩れが誇張されるのが超広角レンズの特性だ。
超広角レンズを使用しはじめたばかりの時点では誇張された表現だけで満足できるかもしれないが、やがて背景など余計な要素の扱いに手を焼く段階に移行する。
このとき、どこまで他の要素の乱れを容認するか、あるいは主たる被写体は多少形状が崩れても他の要素こそ正しておくべきか、これらが共に調和するアングルがないか、判断する能力が試される。
ボケで乱雑な要素を曖昧にする手法は使えないのだ。
このような問題を抱えながらも見せたい被写体があるか。
極端な遠近感に鑑賞者がまず驚いてしまっては、写真のテーマに気持ちが動かなくなり、そこでおしまいになる。
つまり超広角を使用する必然性が問われるのだ。
中望遠を使用すると魅力的な被写体を人間が見つめる感覚に近づく。これは人間の目と心の動きにかなった作用だ。
超広角の魅力的な被写体にかぎりなく接近し背景をはるかかなたに押しやる構図、または広大な世界にぽつんと魅力的な被写体が小さく存在する構図、これらの心理的な意味を考えられないと超広角レンズは使えないのだ。
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