2015-09-13

workshop12. 撮影から仕上げまでの一貫性

1.
家を建築するとして、気候風土、土地の形状、これらに見合った設計図、土台づくりから上物の工事、内装と計画と計画を実行する一貫性がなかったとしたらどうなるだろうか。計画と一貫性がないとしたら、気候風土に負け崩壊したり、とても暮らしにくい家になる。

写真撮影も同じだ。
最終的にどのような画像として残したいか撮影準備から仕上げの現像、プリントアウトまで一貫した計画と作業が求められる。
最近のカメラは「風景モード」等の画調の設定があり、さらにプログラムオート露出も搭載されていて、無難な、それでいてある程度の完成予想が立てられる仕組みになっているが、自分なりに心に描いた理想像を画像に固定できるとは限らない。

多くの人はこのことを知っているため絞り値を選んだり、シャッター速度を選ぶなどしている。これでいつもほぼ理想の画像を得られるなら幸福な例といえ、まだ理想とする画像に近づかないと感じている人もいることだろう。

なぜ理想とする画像に近づかない、あるいはどうしても詰め切れないものがあるのかとなれば、撮影準備から仕上げの現像、プリントアウトまで一貫した計画と計画を実現する作業が欠けているからだ。しかし誰にでも適応できる模範的な計画は存在しない。誰にでも通用するものは月並みで無難で無個性な建売り住宅と同じである。これが前述の、カメラに搭載されている設定でありプログラムオートの部類だ。無難さの代償として、各自の意志や願望をカメラに委ね、あきらめるところはあきらめざるを得ない。

絞り値を自分で決めたり、シャッター速度を決めたり、露出補正をしてもまだ理想像とのずれがあるのは、撮影から仕上げまでの一貫性のうちシャッターを切る直前の部分だけしか自分の意志を反映させていないためだと言ってよいだろう。

2.
既にフィルムを使用したことがない人のほうが多い時代ではないだろうか。
かつてフィルム(主としてモノクロフィルム)を使用して作品をつくろうとしていた人は、フィルムの特性にあったライティング、あるいは外光の状況を考え、コントラストフィルターと呼ばれる黄色から赤のいずれかのフィルターを選択し、現像時に増・減感をする前提で露光値を決め、現像作業では各自が見つけ出した自分にとって紙焼きがしやすい濃度のネガを得る作業をし、焼き付け時に覆い焼き・焼き込みなどをした。

とても面倒なことをやっていたのだ。
しかも現像は化学反応で行うものであったから、現像液の濃度から現像時の攪拌法、時間、室温による現像液の温度変化なども考慮しなければならなかった。これがカラーフィルムになると更に複雑化するため、ほとんどはラボに任せざるを得ず、ラボの処理に注文はつけられたが技師が操作できる範囲は限りなく狭かった。
写真のデジタル化を私が歓迎するのは、どこまでも自分自身で肉眼で確認しつつ現像作業ができ、可変範囲が大幅に広くなったためだ。

ただデジタル化の初期からつい最近まで、なぜかRAW現像で画像を操作することが悪であるかのように言う年寄りが存在し、「あれは露出の失敗を誤魔化すものだ」などと言っていた。
このような言葉に影響されてか、RAW現像時に画像を操作する範囲は微調整程度に留めないとCGと変わらないと思い込んでいる人が多い。とても残念な現象である。
フィルムを使用していたときから、いかに自分好みの、しかもラボが受付てくれない注文を実現するにはどうしたらよいか格闘していた撮影者がいる。このような人を容認してRAW現像での操作を敵視するのは矛盾するだろうし、このような試みをしていた人を知らないなら知識の幅が狭すぎる。

3.
撮影から仕上げまでの一貫性は、撮影から発想するものではなく、仕上げから考えなくてはならない。終着点である画像をどうしたいかがテーマだからだ。

各自の思い通りにならない点は様々なので、どうしたらよいか具体的で一般的な話はできない。ただし、プリントアウトなりディスプレイ像なりを観察して、どこをどうしたいのか明確にすることから始めるのだけは共通項としてよいだろう。

仮に、「なぜどこにでもある作例写真と似たり寄ったりの写真になってしまうのだろう」と悩んでいたとする。チューリップが咲き乱れる花壇を撮影し、手前にある花にピントが合い背景がボケたカラフルな写真だが、どこにでも掃いて捨てる程あるではないかという悩みだ。
このとき自分が望んでいる状態を具体的に、言葉で説明できるものにしなければ次の計画の段階に入れない。多くの人が「月並みだなあ」と感じつつも、そこから移動できなくなっているのは、具体的にどこをどうしたいか言語化しないからだ。言語化は自分なりのもので「もっと全体が静かなトーンで」くらいでもよい。あるいは映画で観たシーン、絵画で観たシーン、を思い浮かべて言語化してもよい。

チューリップの例を続ける。
「なぜどこにでもある作例写真と似たり寄ったりの写真になってしまうのだろう」、「月並みだなあ」と感じ、映画でもっと渋い感じに全体のトーンが整えられていたと思い浮かべ理想形にしたとする。言語化とは、その渋さが何によって反映されているかを考える過程だ。
「色の違いはわかるが、彩度が全体的に低かった」と言語化したとする。

ここまで言語化できたなら、RAW現像時に「彩度」を下げてみればよい。だがたぶん「彩度」を下げただけでは理想としている画像は得られないはずだ。締まりがなく色の差がすくなくなっただけの画像を前にして、またここでどこが足りないか言語化しなければならない。
「コントラストまで低く感じる」と言語化したとする。
そこでコントラストのスライダーを限りなくあげてみると、下げたはずの彩度が上がり、これでは理想からまたかけ離れた結果に逆戻りだ。

コントラストのスライダーを上げる行為は、ヒストグラムに表されるされている各明るさの値が描く波形の基本形を変えないまま階調の幅を狭くするものだ。階調が詰まるのだから、中間調の半分は暗部に組み込まれ、明度が下がり彩度が上がる。したがって、この例ではコントラストのスライダーを上げる方法は理にかなっていないとなる。

例におけるテーマは締まりはあるが彩度が低い画像を得ることだった。
ここでこれまで調整した各値をデフォルトの状態に戻す。
「締まりがある」とはどういう現象のことか考える。これは人それぞれ理想があるだろうが、暗部がぐっと締まり、明部がはっきり明るい状態で、かつ彩度が低いのが理想だったとする。
このような場合は、応答性が暗部と明部で違うものを望んでいることになる。つまり元の画像と明部、暗部といった異なる領域ごとに表現を変えたいのだ。応答性を変えるのはガンマ値の調整だ。
S字、逆S字、U字、逆U字など代表的な調整法が存在するが、チューリップの写真の例では暗部に締まりを、明部により明るさをが理想であるのだから、ガンマ値の暗部側を適宜下げ、明部を上げる。
次に彩度を下げて行く。

これは一例であり、これだけでは理想像と一致しないはずだ。ここから先は各自各様の工夫で現像レシピをつくることになる。

4.
ある程度、理想像に近づく現像レシピが各自なりにできたとする。

すると撮影時のデータのつくり方の課題があきらかになる。
撮影時のデータのつくり方とは、露出の与え方であったり、絞り値やシャッター速度の組み合わせだったりと、撮影直前の準備に対する課題だ。
たとえば、自分が理想とする画像を現像で得るためには、最終的にハイコントラストにするのだが、データは階調の幅が広く限りなくディティールを残したものでなければならない、とする。限りなくディティールを残したいのであれば、ライティングは光が回ったものが求められるだろうし、外光撮影で光のコントロールができない場合は暗部、明部、中間部と被写体の反射率を考えてメーターが示す露光値を上げるか下げるか考慮することになる。

ここまできて、ようやく撮影から仕上げまでの一貫したレシピがつくられる。
ただし、スタジオでの撮影であればライティングは思いのままだが、外光撮影の場合は一定のレシピがいつも通用するとは限らない。
ここは経験を積んで、自分らしいデータをつくるための、なるべく普遍的な撮影時のレシピに調整して行くことになる。曇天でも、晴天でも、通用するようにするにはどうしたらよいか考えるのだ。
どうしても特定の光の状態でなければ実現できないものであるなら、その特定の天候時、時刻などに撮影を行うことになる。

この項で知ってもらいたいのは、月並みでよいならカメラ側が用意しているモードでそのままデータをつくればよいが、これでは物足りないのなら、物足りないのは何かまで具体化し言語化しなければならない点だ。そして、このような自分なりのレシピに至るために、誰にも適応できる模範解答は用意されていない。

「理詰めすぎる。感性で撮影するのが写真だ」と言いたい人もいるだろうが、直感的にスナップショットを撮影し名作を残した木村伊兵衛は、数かぎりない実験を行った上で本番に臨んでいる。カラーフィルムが登場した時代は、どうしたら望みどおりのものが得られるかフィルター等を試行錯誤していた。
木村伊兵衛に限らず、モノクロ現像と焼き付けを行っていたアマチュアも自分が焼きやすいネガをつくるため現像の試行錯誤を行っていた。

絵画と違い、現実の側(被写体をめぐる条件)を変えられない、変えにくい、さらにレンズとボディによる限界がはっきりしている写真では理想とする画像を得るには理詰めで考え、これを実際に試してみなければ理想とするものの実現や独自性は得られない。天才的才能の持ち主であっても、凡才よりいくつかの過程を省けるだけに過ぎず、考える過程を省いたならせっかくの才能を発揮できないだろう。

 

 
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