workshop 6. 広角描写と標準レンズ

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workshop 6. 広角描写と標準レンズ

 

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・広角くささを感じさせない描写で広い範囲を写し取る。
・標準レンズの使い道の広さを活用しきる。

1.
どのフォーマットでも標準レンズとされる、垂直画角27°、水平画角40°、対角画角47°相当のレンズが存在する。ライカ判では50mmまたは50mm近辺の焦点距離がこれだ。
この画角より広い範囲を写し取るレンズが広角レンズとなる。

標準レンズを言葉のまま「標準的な画角と使用法のレンズ」と解釈すると、とても窮屈な気持ちになるのではないか。
なぜなら、この画角は人間がある程度の目標を定めて環境を眺めたときの広さを、ごく自然な遠近感で描写する特性があるからだ。つまり広角や望遠のようなダイナミックさは期待できない。
だからこそ標準レンズ1本で何でも撮影できるようになれば一人前というのは今も昔も変わらない。

広角レンズの特徴は画角の広さだけでなく、画角の広さにともなう遠近感描写の誇張にある。
誇張は諸刃の剣で、効果的に利用できなかった場合は作品の質を損ねる。
したがって広角レンズを使いこなすために、画角が広くもなく狭くもない標準レンズから使いこなしを習得しなければならないと言えるだろう。
標準レンズ1本でいかなる状況でもなんとでもする撮影への挑戦だ。

標準レンズ1本でいかなる状況でもなんとでもする撮影とは、どのような意味のものなのか。
これは標準レンズの垂直27°、水平40°、対角47°程度の画角は変えられないが、これで広角的、望遠的表現をできるようにすれば、おおよその被写体には対応できるようになる上に、本当に広角、望遠を装着した際により効果的な撮影法が身につく一挙両得の意味がある。

画角が変わらないのに、他の焦点距離のような描写が可能なのか。
以下、一部実例を挙げて説明する。

2.
広い範囲を写した作例を示す。

 

この作例写真と次の作例写真を比較してもらいたい。

 


いずれも広角レンズで撮影したものなのか、あるいは違うのか、どのように感じられるだろうか。

一枚めの写真は広角レンズ的効果を意図しつつライカ判標準レンズとされる50mmで撮影したもので、35mm〜28mm程度の雰囲気が出れば御の字と意図した。
まず視線が向かう白服の人物を中景より後ろに配して敢えて小さく描写されるワーキングディスタンスを選択し、このとき敷石と柵が斜め方向に連続するように横方向に移動、かなり近距離を人物が通過しかかるタイミングを見計らってシャッターを切っている。
広角っぽい感覚は、中景より後ろの人物と近距離を通過しようとしている人物のサイズの対比によるものが第一番めに挙げられ、次に敷石のパターンが斜め右上に収斂して行くような様相と柵の角度が相まっているために生じるものだ。湾を隔てた遠景にあるスカイラインは水平であるが、柵は微妙に傾きつつ左から右へ遠ざかっている。

50mm / F1.2 開放を選択し、手前の人物を大いにボカしている。
標準レンズで広角らしくするためパンフォーカス風になるまで絞り込むとするセオリーもあるが、逆に手前に大きく写り込むものがボケることで「広角でさえ」ボケるほど近くに存在していると感じさせた例だ。

ここで重要なことは、人物が二人である点だ。
もし、中景つまり二人の人物との間にもう一人の人物がいた場合、前景、中景、中景より後ろの三者の連続的な遠近感描写によって標準レンズのパースであると明確になる。
また、手前に存在しているのが人物のシルエットとわかることで、中景より後ろにいる小さく描写されている白服の人と大きさが対比される。もし大きさを知る拠り所のない物体、たとえば潅木であったり、他の未知の自然物である場合、大きさの対比が難しくなり大げさな表現の目的に叶わなかったかもしれない。

さらに横位置撮影かつ、2:3のアスペクト比で横幅感のあるライカ判のため、他の長辺側が短いフォーマットより水平方向の広がりがある。

では2枚めの作例写真はどうだろう。
これは何mmで撮影した写真だろうか。明らかなのは、水平を描く駐車場の行き止まりにある赤白の侵入禁止柵が傾斜している点で、これにより広角レンズであることが理解されるだろう。
こちらは28mmで撮影されている。
だがなるべく広角レンズで撮影したとみられたくないため、中央左寄りにある建屋の厚み表現が許せるかぎり少なく写せる位置を選択した。
左隅にある入場ゲートへの連なりは消失点に向かって画面中心方向に伸びているのか、それとも駐車場の構造によるものか曖昧にしている。
一方、建屋は誰もが直方体だろうと推測できるものであり、厚み方向の消失点を意識させると広角くささが如実となる。また厚み方向の直線部が画面中央付近にあることで、画面隅側に存在した場合より消失点に向かう角度が垂直に近づき遠近感を曖昧にしている。

28mm程度であれば、駐車場の車止めコンクリートの連なりによる遠近感はこの程度だ。むしろ、駐車位置を示す白線が水平であることが重要となり、これは先の50mm標準で撮影した敷石の斜め方向への連なりと逆の要素として盛り込んでいる。

さらに遠景の林や建築物と駐車場との距離感を示す、これらの間に存在するサイズを特定できる物体が見えないアングルを取ることで、あまり大々的な広角レンズ感を出さないようにした。

3.
では次の作例を見てもらいたい。


この写真は標準レンズで撮影したものだろうか。

遠近感の拠り所がたくさんある画像だ。まず遊歩道の幅、生垣の上部と下部、低い擁壁と柵の直線部、これらが画面中心部に収斂して行くのがはっきりしている。

ここで重要な点は、透視図法で言われる消失点が画面中心部、画像の対角線が交わる位置とほぼ同じであることだ。
もしカメラの水平・垂直・平行がずれた場合、消失点は画像の対角線が交わる位置と異なるところに収斂する。

わかりやすい例を挙げると、高層建築を見上げて=仰角で撮影した場合、土台付近より上層階が遠く位置することにより小さく描写され、あたかも奥に倒れているような写真となる。
さらに、建築物に対しての平行関係が崩れると直方体ではなく台形状に変形する。
私たち人間は遠近感を脳内補完し直方体だとわかっているビルディングのようなものを直方体として認識するが、写真ではシフト等の処置をしないかぎり残酷なまでに現実を写し取る。


先に例示した作例は35mmで撮影したもので、前掲の28mmより遠近感の誇張はないものの標準レンズとは異なる描写となる。
したがって桜の木と空への広がりを見るとあきらかに広角レンズを使用したとわかるが、水平・垂直・平行が維持され、さらに消失点が画面中心部に収斂するように撮影すると広角独特の大げさ感が薄らぐ。


こちらは20mmで撮影したテストカットだ。
同じロケーションで撮影した先の写真と比較すると広大な領域が映し込まれているため広角レンズとわかるだろう。
こちらも桜と空への広がり感によって更に広い広角レンズによるものとわかるだろうが、水平・垂直・平行が維持され、さらに消失点が画面中心部に収斂するように撮影し、なるべく大げさ感を消そうとした。

4.
人間は両目が左右対象かつ水平にあることから、水平に広く垂直に狭い領域の視界を持っている。
さらに特定の物体に対する神経の集中度合いにより、はっきり認識される領域が変わる。
様々な写真フォーマットで「標準レンズ」と呼ばれる焦点距離の画角は、いずれもほんのすこし意識的に目標物を眺めるくらいの広さとなっている。特に何かを意識せず環境を見ている際は準広角レンズ、ライカ判なら35mm相当だろうか。したがって35mmのほうが自然な画角とする人がいる。
しかし遠近感に関しては標準レンズ相当の焦点距離のほうが自然だという人が多く、たしかに準広角とは言えあきらかに遠近感が誇張される。ここが50mmを苦手とする人と、35mmは使いにくいとする人に別れる理由ではないかと思う。


さらに人間の視界には、意識の配分は低くなるが何かあれば気がつく領域がある。ライカ判では28mm相当の焦点距離のレンズの画角の周辺部だ。同24mmは、見えていても注意が注がれない領域を超え見えない部分に至るようになる。

また私たちは見たものを脳内でステッチし、記憶の領域により広い範囲を認識しつつ生活している。目を左右に動かす、首を軽く振るなどの動作で見て短期記憶となったものが、随時前述の28mmの画角外に付け加えられるのだ。まさにこの領域と言えるのが、ライカ判20mm相当の画角のレンズである。
したがって、「このような場所にいた」と1枚の写真で説明する際に便利な画角が20mmとなるが、相応に遠近感の誇張は大きい。

5.
ここで注意したいのは焦点距離と遠近感描写は関係なく、遠近感の圧縮や誇張は画角に依存したものである点だ。

サッカーボールの背景に山がある風景がひろがっていたとする。標準レンズと広角レンズを用意し、サッカーボールが双方のレンズで同じ大きさに撮影できる距離に移動してみる。広角レンズの場合、標準レンズよりサッカーボールに近づかないと同じ大きさに描写できない。


結果として、広い画角では近くに存在するものに対して遠くに存在するものが相対に小さくなる。これがレンズの画角による遠近感描写の差の仕組みだ。

6.
だが水平方向に写真をステッチしたり、レンズと撮影媒体を平行を保ったまま水平方向に移動させて撮影するパノラマ写真では、肉眼をはるかに超える水平画角が得られるが遠近感描写に違和感を覚えない。人間の感覚が水平方向の広がりに寛容だからだ。

一方で、人間は縦方向の広がりと縦方向の遠近感の誇張に対して不寛容である。


これは中央1点に集中する遠近法で描かれた絵画であるが、もしカメラで撮影するとなるとかなりの広角レンズがなければ写しきれない範囲が含まれ、かなり高い位置にレンズがなければならないことになる。
そして、奥行き方向の遠近感描写は正確に描かれているが縦(垂直)方向はシフトレンズを使用したか、まさにカメラそのものを高い位置に置いたかのように遠近感を殺して描かれている。


次の絵画は画家の身長を考えると見上げなければ鐘楼まで視界に入らなかったはずで、もしカメラで撮影したなら仰角のアングルでなければ教会はすべて画角内に収めきれず、高さ方向に対して遠方となる鐘楼を含む教会は先へ行くほど細くなっていただろう。
だがこれもまたシフトレンズを用いたように縦方向の遠近感はないものとされ描かれている。

奥行きの遠近感に対して厳格な西洋絵画だが、高さ方向の遠近感はないものとして表現するのが当たり前とされている。
これは人間の感覚が縦方向の遠近感の誇張に対して不寛容であり、脳内で遠近感がないように処理され認知されることと関係している。

建築写真でシフトが使用されるのは、人間の生理感覚に則った状態を再現するためである。

7.
写真表現ではレンズの画角に伴う効果を意図的に使用する場合もあるが、なるべくなら鑑賞者の気持ちが遠近感の圧縮や誇張に向かわず本来のテーマに集中できるようにするのが本筋ではないだろうか。
テーマそのものが遠近感の圧縮や誇張にあるなら、話は別だとしてもだ。

さらに言えば、画角固有の遠近感描写があるとしても、これをコントロールすることが、鑑賞者の気持ちを遠近感の圧縮や誇張に向かわせず本来のテーマに集中させるポイントとなる。

ライカ判換算50mm標準レンズだけは、自分がもっともコントロールしやすいレンズにすべきで、場合によっては複数本所有しても別にかまわないどころか、むしろこれを推奨したいと思うのは、標準レンズだけで処理できる範囲が広いためである。

標準レンズだけで、まず撮影を続けろ。と、以前は言われた。ZOOMが普及し一般的になってからは、標準レンズだけで撮影しようにも単焦点レンズを所有していない者もいるようになり、「標準レンズだけ」は昔話のように扱われている。
だが標準レンズだけで様々のものを意図通りに撮影すること、さらには広角的表現、望遠的表現を試みる試行錯誤の必要性は相変わらず高い。ここで身につけたものは、広角・望遠・ZOOMを問わず普遍的な意味を持つようになる。

さらに、「Standard lineup」として紹介したレンズの揃え方、最小限で最大効果を得るレンズを絞り込む術を活用するとき、もしかしたら標準レンズだけでこの場は撮影できるだろうとする割り切りも可能となる。
様々な焦点距離のレンズを所有したい欲望は否定しようがないとしても、私たちの時間とお金と1作品にかけられる時間は有限であり、欲望のままにレンズを買っても即作品の質に反映されるものではない。
むしろ比較的安価な標準レンズから自分にとってもっとも安定し使いやすいものを探したり、用途に応じて使用できるように複数本所有したほうが賢いとするのも、標準レンズの奥深さ故だ。

いずれにしろ標準レンズを使いこなせなければ、望遠より難易度が高い広角レンズは使用できないと言ってよいだろう。

 

 

 

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