現像・インプット以上のアウトプットはあり得ない

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今回のタイトルには二つの意味がある。準備から撮影、データの記録についてのインプットが一つめの意味。二つめは技術を含む経験のインプットである。

これまで例として挙げてきた「海景」の撮影に、私は比較的出力が大きいストロボを使用している。いわゆる日中シンクロだ。事前に撮影地の情報を集め、灯台を印象付けるにはストロボが必要と判断した。ただし、いくら曇天とはいえ太陽光に匹敵する光量は望むべくもない。かすかでもよいからストロボ光が灯台に届けばよしとした。

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海景 Oarai

なぜ、かすかでもストロボ光が必要だったのか。インプット以上のアウトプットはあり得ないからだ。

ディティールは明暗(あるいは色彩)の階調である。ディティールを記録するには光が必要だ。もし光量が足りなければ、不足している分だけ実際に存在するディティールは記録できない。とはいえ現代のデジタル撮影、デジタル現像では、光量が不足しディティールが足りない部分をマスクして部分調整することで、意外なほどそれらしい画像をつくることができる。だが、いくらデジタル画像処理が柔軟とはいえ存在しないデータまで生み出すことはできない。また、マスクを切った後に調整する量が大きいとき往々にして不自然さが現れる。例として挙げてきた「海景」ではマスクによる部分調整を行なっているが、もしストロボ光がなければより大きな調整を加えなければならなかっただろう。

この事情は、日中シンクロに限ったものではない。撮影時に十分以上のデータを記録できなければ、RAW現像で再現できる幅が狭まるどころか、撮影テーマそのものを再現できない。撮影(インプット)とRAW現像後(アウトプット)は一体のもので、撮影は現像を、現像は撮影を考えて行われなければならない。

次に、技術を含む経験のインプットについて記す。

知らないことは表現できない、これに尽きる。21世紀に生きる私たちの足元から地下には、膨大な文化の蓄積が存在する。写真術の地層は、指先で掘れるくらい表層に存在する。さらにデジタル写真の地層は、まさに靴底が触れている表層だ。写真作品を好き嫌い関係なくどれだけ観たか、実際に撮影して現像を試してみたか、これらの経験が希薄なら、希薄な経験なりの作品しかアウトプットできない。美術の歴史の地層は、とてつもなく深い。美術の地層のすべてを経験するのは不可能だが、どれだけ写真以外にも美術作品を経験してきたか重要になる。さらに、教養と言われる分野。

写真は奥が深いが、機材を扱えるなら誰もが撮影できる。インプットが豊富な若い人に、インプットが圧倒的に少ない大人があっという間に表現を追い抜かれるのが写真だ。写真はセンスそのものなので、才能の有無だけで表現の優劣が決定するくらい恐ろしい表現なのに、後天的要素であるインプットを増やさないのは怠惰以前にすべてを放棄しているようなものだ。

Fumihiro Kato.  © 2016 –

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