クラシックカメラブームの功罪

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90年代から00年代はじめにかけてクラシックカメラブームがあり、ライカから古い未知のカメラやレンズまでたいそうな量が販売されたし情報が溢れかえった。あれは何だったのだろう。

あの時代のあの狂騒を知らない人にどれくらい騒がしい出来事だったか説明しなければならないだろう。東京の繁華街の喫茶店(おしゃれなカフェにとどまらない)に一組くらいライカを持った客がいて蘊蓄を傾けていたような異常事態だった。ちょっと大げさな表現だけど。

脱サラ組のクラシックカメラ店やら老舗やら、それはもう客がひっきりなしに訪れていた。古いカメラやレンズだけでなく、クラシックをイメージした新商品がコシナなどから発売された。フィルム時代の最後の大騒ぎだったと言える。

このときまで民生用の撮影レンズでは「?」がつく変なレンズが安いメーカーと目されていたコシナが、クラカメブームで現在の確固たる地位を築いたのは喜ばしい限りのできごとだ。

コシナの再興はクラシックカメラブームの功にあたると言えるだろう。フォクトレンダーでの成功がなければのちのコシナ・ツァイスはなかったはずだ。

そのコシナがフォクトレンダーブランドの使用権を得てカメラとレンズをつくりはじめたことが、私が遅ればせながらブームを知ったきっかけだった。

私は既にライカM6TTLを使用していたが、当時は暗中模索の時代で構図やらなにやら偶然性で解決できるのではないかとレンジファインダー機を選択したのでブーム到来は意外だったしエアポケットに落ちたような妙な気がした。

それまでライカのレンジファインダー機は時代遅れの特殊なカメラとされていた。ところがクラシックカメラ雑誌やムックが続々創刊され、バルナックライカからM3、M4、M5という骨董や旧機種にはじまり当時最新のM6TTLまで毎月ほとんど同じような記事が書き連ねられていた。

メディアとの相乗効果で中古屋さんはたいそう儲かったのではないだろうか。

現在50代から60代で過去から写真撮影を続けている人は、不景気きわまりない時代だったとはいえ落ち着いて趣味に没頭できた人もいて、クラカメを買ったか否か別として大なり小なりブームの影響を受けているはずだ。

さてメディアについてだ。

クラカメ系の雑誌を買ったことはあったが毎度おなじみのクラシックカメラ評論家とも言える御仁が、現代のテクノロジーは行き過ぎであってローテクとヨーロッパの価値観はすごい的論調で記事を書いていて明らかな老人趣味を振りまいているので辟易して読むのを辞めた。

どの書籍を見ても同じおじさんたちが作例を撮影したり蘊蓄を語っていたのだからバカバカしいにもほどがある。

同じおじさんが語る蘊蓄はいつでもどこでも堂々巡りしていた事情から、一大事とも言えるブームとはいえ人材がほとんどいない状態だったのが見て取れる。そりゃそうなのだ。ライカなり他の古い機種なりを使っていた名手はとっくに亡くなっていて、ほとんど誰も見向きもしなかったジャンルなのだ。

おじさんには役割分担があったようで、ラスボス的な人は感覚的で情緒的な説明をして、他の人がもう少しデータを元にした話を書いていた。ラスボス的な人は素人さんを集めてサロンというか同好会みたいな集まりをやっていてたいそう人気があった。今もやっているのだろうか。

いずれにしろメディアがカメラにまつわる蘊蓄が商売になると発見したのが後年に影響を及ぼしている。

それまでアサカメ等の写真雑誌が独壇場かつ限られた人に愛読される時代が長らく続いていた。そこにクラカメ雑誌やムック、ライカ特集等で参入したメディアはやがて廃刊・休刊したけれど、蘊蓄を売る形態はネットメディアに継承された。

諸収差、MTF曲線はアサカメ等でさんざん語られていたが、かなり広く知れ渡り蘊蓄の材料にされるようになったのはクラカメ雑誌の影響だろう。あとボケ味とか線が細い太いとか。ラスボスおじさんの宮殿とも言えるメディアで他のおじさんたちがこれらを散々書き散らしていて、誰もが真似たのである。

銀座の端っこにある広告代理店近くの喫茶店で、スーツ姿の若い男が銀色の沈胴式レンズが付いたライカ片手に早口でなにごとかましく立てて得意顔だったのが忘れられない。

写真というよりカメラとレンズにまつわる情報を消費して、情報のためにカメラとレンズを買い、ラスボスおじさんや他のおじさんごっこで情報を吐き出し、そしてと循環していたのがクラカメブームだ。いまならネットメディアに踊らされてハイテクな新機種の情報があれこれ蘊蓄まじりに語られ、カメラ好きが新機種を買ってと位相は変化しても似た状況なのは前述の通りメディアから商売になると見込まれたからだ。

レンズの写りは何がどう影響しているのかとか、どこを見れば自分にあったレンズを選択できるのかといった知識が諸収差やMTF曲線の知識から導きだされるようになったのはよいことだろう。こうした知識が一般化するまえは、ニコンならキヤノンなら悪いはずがないし高いレンズならもっとよいという程度でマニアが機材を買っていたのだ。

いっぽうで自分では見抜けなかったり気づかないボケ味の違いとか、レンズの個性とかに耳年増になって、ラスボスおじさん的な人があれこれ言うのを真似たりするのは功罪のうち罪の部類だろう。みんなよくわかるんだね、と感心するくらいいろいろ語っている。

そして蘊蓄語り専門の人は、あの時代のラスボスやその他の人の口調そっくりで論法もまた同じなのが凄まじい。

線が細い太いなんて言葉をすらっと口にするのはカメラ評論家もフォロワーも同じだけど、いったいどんな現象を指しているかわかっている人は少ないし、いったい何を指しているか探求する人もいないから私は記事に書いたり説明を尽くしたりした。

私は彼らが言うことのほとんどがわからないのであって、わかる人はすごいと感じる。

で、わかっていて言ってますか?

はっきり言ってクラカメブームはつくられたブームだった。つくられたブームだったからクラカメやらライカを語れる人材がとても限られ、いつでもどこでも同じおじさんがあれこれ書いていた。そして新規の人材が現れなかったことでもブームの底の浅さがはっきりしている。

サルガドとか当時はまだ健在だったブレッソンのインタビューなど紹介されることはほどんどなく、あったとしても借り物の写真をちょこっと掲載するだけ。荒木さんの特集もたぶんなし。ラスボスが王という構造なのだから若手の紹介も徹底的に手薄。

終わってる話の蛸壺であって、いずれ話が枯渇して煮詰まって臭いにおいを発するのはとうぜんである。

もちろんブームに火がついたのには理由があったはずだ。いまから考えればフィルムカメラの末期であり、テクノロジーが高度に煮詰まっていたからアンチテクノロジーが新鮮だったのだろう。でもカメラやレンズを買うのに忙しくて、ローテクな機材をとことん使い尽くす人はほとんどいなかった。

じっくり楽しんでいた人も多いけれど、写真の世界を動かす作品に結実しなかった。小さな世界に閉じこもりがちな蘊蓄勝負に終始したブームだった。

お散歩写真が勃興したのもこの時期で、休日に近場に出かけて俳人でも気取るようにパチパチ撮影しておしまいだったようだ。ラスボスおじさんのサロンが流行って、信徒がおじさんの家の近くなどを集団でさまよいながら撮影したらしいけれど、軽く流すのがイキだったのかクラシックカメラ風の写りを表現するのがテーマのすべてだったのか信仰を語るのに忙しかったのか、まあそういうことだ。

毛色が変わったところでは二匹目のドジョウでカメラ女子なんてブームを起こそうとしたメディアもあったけれど、蘊蓄くさい状況を嫌ってお気楽に撮影を進めようとする点は好ましいが、ファッションにしようとしたあたりにメディアの感覚のダサさが横溢していた。

どっちにしろ情報を消費するためのカメラ趣味であるのは間違いない。

写真は写真そのものが情報なのであって、情報を選別して作品にするのが撮影だ。蘊蓄を語るだけでは写真は撮れないのである。

© Fumihiro Kato.
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古い写真。

・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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