なぜか捨てられないカットという不思議

似たような話を以前書いたけれど、前回とは少し違う話をしたいと思う。目的と対象がはっきりしている撮影でケアレスミスから捨てざるを得ないカットが出るだけでなく、撮影結果を見てどうにも納得できないため捨てるカットがある。いっぽう散歩の最中に手持ち無沙汰を紛らわすように撮影したカットで、たいして期待するものがないのに捨てられない写真がある。手持ち無沙汰を紛らわすと言っても、それなりにちゃんと撮っているのだし、いくらなんでも闇雲な方向にレンズを向けたのでもない。でも、これといって深い意味もなく撮影したカットが捨てられない写真になるのが面白いし不思議だ。

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この写真は特に絵になる風景でもなかったし、電線が空を横切っていたしで、それでなくても撮影した時点であがりが完全に想像できた。こういった作為を消し去った作品を撮影する人がいて、こういった世界観を追及する人がいるけれど、私としてはすべての面で不採用の写真になるはずだった。ではなぜ撮影したのかは既に書いた通りだ。こういう経験は皆がしていると思う。前掲のカットは冬の晴れた日に闇雲に決めた場所に行き、川があったから川沿いの道を歩いたところにあった景観を撮影した。まったく同じ景観は他にないだろうが、川沿いに限らずよく似た植栽、よく似た電線、よく似た家並みが揃った場所があるはずだ。そして、この写真が上手いのかと問われたら「どうなんだろうね。上手くはないよね」と答えるほかない。それなりにちゃんと撮ったつもりで、おふざけで撮影してないし、指が触れて偶然シャッターが切れたのでもないから撮影結果の責任はぜんぶ私にある。でも私が求めているものではまったくなかった。

こんなカットをちゃんと現像したのは、散歩で歩いた知らない場所を写真で振り返っているときサムネイルの段階でナニカがひっかかったからだ。現像しているときの意識は何かをつくりあげようとするもので他の作品と何ら変わらなかった。だから面白いし不思議だ。こういう作為なしなのだが、それでも自分が選んだ場所から自分が選んだ方法で撮った写真は、意識にまったく表れない意識の底にある曖昧な願望がにじみ出ているように感じる。願望がなかったら撮影はしないよね。願望は目的につながっているから現像できたとも言える。現像はまず目論見があったうえで、目論見を実現するため目的に沿ってあれこれ操作するのだ。当たるも八卦当たらぬも八卦の下手な鉄砲数打ちゃ当たるで、現像をやり切れるものではない。まず途中で飽きて放棄することになるし。

現像してみると、案外こういう手もあるなと思う。でも、こういう手を追いかけてみようとはまだ思えない。そして忘れたうちに、まったく違う撮影と現像でふいに蘇ってくるのを何度も経験している。面白いし、とても不思議だ。

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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Profile

F.Hiro.K
加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato a.k.a Hiro.K
写真家・作家 / Photographer Author
・北海道北見市生まれ。
・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。
・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。
・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他)
・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。
・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材、MIT Museum 収蔵品撮影 他。
・歌劇 Takarazuka revue
月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。
・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」他、小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。
・獅子文六研究。
・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。
・各メディアにおけるスチル撮影。
・オリジナルプリントの製作、販売。
・JSAHP正会員
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