世界観を生む撮影と仕上げ(ある会話)

おいちゃん:しばらく絶望したと言ってたけど、今はどうなの?
おいら:去年は入院してるあいだ作品どころではなかったし、きちがいストーカーに嫌がらせされたりとか正直なところ絶望してたし同時に写真にも絶望したのは事実だよね。つい最近も遠くに撮影にでかけられない諸事情があって鬱々としてたし。

おいちゃん:ここのところあっちのほう(ギャラリーサイト)にたくさん写真を上げてるよね。
おいら:ずっと天気が悪いけど逆にそのほうが自分向きの状況だから、鬱々としてたあいだの力を出かける力に変えて出かけたと。なんだけど、降られると撮影しにくい(笑)

おいちゃん:天気が悪いほうがいいっていうのは聞いてたけど、やっぱりそうなの?
おいら:自分的には。ただ、雨で濡れるのは面倒だし行動がどうしても制限されるので、降りそうな曇りとか、晴れそうな曇りとか中途半端な感じが最高だね。
おいちゃん:だから夏はロケしないと言ってたよね。
おいら:それと人出が多くて煩いのと、海辺で水着の人がいると盗撮犯扱いされるのもうっとおしいから。夏以外でも、晴れの日は求めてるものが違うし。

おいちゃん:この前の諸磯崎は晴れでしょ。

おいら:晴れ。あれは9月になってようやく撮影しやすくなって、よいしょっと気持ちを立てて出かけることが最大の目的で、日程的に日取りを選べなかったわけ。それでもコントールする術は開拓済みだからちゃんと作品はつくるという。転んでもただでは起きない派だし。
おいちゃん:けっこういいと思ったけど、不本意なのか?
おいら:不本意ではないよ。最高だと言えなかったら写真を外に出さないよ。あれは岩場の杭にしろ、ものすごい形の灯台にしろ純白だったのがよい方向に働いて、ピーカンに近い状況にマッチしてた。

おいちゃん:だったら晴れでもいいんじゃないの?
おいら:世界観の問題なんだよね。晴れなら晴れで、ずっと変わらない世界観を基準にして露出決めて仕上げの仕方も決める。意外なものを見つけたくて外で撮影しているけど、被写体や仕上げの見極めは世界観があって決めてるという。

おいちゃん:その世界観は写真を見ればわかるけど、説明できる?
おいら:説明できるけど、言うべきではないと思ってるから言わない。タイトルがあって写真があれば、あとの解釈は勝手でいいと思うから。
おいちゃん:人出が嫌いと言ったけど、やっぱり人間は邪魔なの?
おいら:この世界観には人間はほとんどいらないというか、いないんだよね。ただ、この世界観でポートレイトを撮影するのは可能で、よくよく考えてみたら30年くらい前にたくさん撮ったポートレイトに原点があるというか、あのときと世界観が変わっていないというか。

おいちゃん:何も変わってないの?
おいら:かなり変わってるけど、漬物が古漬けに変わるみたいな。最近になって、もともとの価値観の本当の意味がわかってきたから、もっと端的に撮影できるようになったんだよね。
おいちゃん:ロケ地も海が多い。
おいら:そうだね。ずっと海ばっか。昔から。海は怖いから嫌いなんだけど(笑)
おいちゃん:怖いもの見たさか(笑)
おいら:真面目な話をすると、植田正治さんが鳥取砂丘をスタジオにしてたのとけっこう似てるのかもしれないとは感じてる。山は頂上に行かないと無限大に向かう眺望を得られないし、頂上だと眼下の方向にも抜けてしまうでしょ。海は単純化しやすいし、単純なんだけど変化がある。人もいないし。
おいちゃん:またそこかい(笑)

おいら:あんまり言葉にしたくないけど、自分の中には世界観がちゃんと言葉になってて、法律みたいに言葉に従って状況を当てはめはしないけど、ああこれは違うなとかこれはいいなとかはあるよ。
おいちゃん:人がいたらああダメってなると。
おいら:人間は余計な意味をたくさん持ち込むからね。逆にここをコントロールできるから、特定のモデルを用意したポートレイトが同じ世界観で可能になる。実際のところ、そうやって人間込みにしている作品があるしギャラリーで発表してるよ。気づかれてないだけで。
おいちゃん:人が入り込んでるのはそうなのか。
おいら:例外はあってもね。

おいちゃん:どうして雲を描きこむというか強く描写してるの?
おいら:撮影から仕上げで、どっちも雲については重視してるから。たしかにさあ、重視しないとああいう仕上がりにならないよな。
おいちゃん:ここはうまく説明できないところ?
おいら:いつの間にか世界観を表す重要なアイテムになったのは事実だよ。あれは文章で言ったら「地の文」というか、おどろおどろしいことをしようと思ってるのではなく、セリフを立てるような表現かな。

おいちゃん:ちょっとわからない説明だな(笑)
おいら:(笑) この写真なんか特にそうだけど、セリフは真ん中の岩なんだよね。だけど超広角で主題はとても小さくなってるし、これ以上岩が大きかったらまったく面白くないし下品だし何も伝わらない。小説のセリフでもやたら声が大きく喋くりまくればいいってわけはなくて、ぽつんと小声で囁くほうがいい場合が多い。

おいちゃん:そこんとこ、もう少し詳しく。
おいら:撮影にモデルさんを使う場合、意味あいが少なくて……つまり匿名性が強くて、なんらかの人間性というか見た目が端的で、この純粋性が貴重な人がいいんだよ。どうして美形の人がモデルとして重宝されるかというと、アンドロイド的なんだけど間違いなく人間で複雑な意味あいがないからで。ほら複雑な顔の造形や、崩れはそれだけで意味になっちゃうから。
おいちゃん:でも人間性の味わいとか……。
おいら:それは、人間味の特殊な味わいを追求するために重宝な特徴だよね。だから否定はしないし活用したいときは使いたい。ほら老人を撮影するとかさ。でも、この世界観の話に戻すなら、主たる被写体はもっと漠然としていて、なんだったら主たる被写体はなくても十分に語れるというか、おいらは天才だから最高の写真に仕上げられる(笑)
おいちゃん:すげえ自信だ(笑)

おいら:自信がなかったら写真なんてやめてるよ(笑) アメリカのバンドでリトル・フィートってのがあるというか全盛期は70年代だったの。このバンドはメロディーがなくても、バックのリズムセクションだけというか伴奏だけで凄いノリというか鑑賞できちゃう。もちろんメロディーもいいんだけどね。で、メロディーはボーカルだったり、リーダーだったローウェル・ジョージのスライドギータなんだけど、ぜんぜん過剰じゃない。音楽とくにロックやジャズにとってリズムセクションがよければほぼ完了的なところがあるけど、ロックやジャズのリズムセクションは世界観なんですよ。ファンクのハービー・ハンコックだって、ジェイムズ・ブラウンだってそう。
おいちゃん:へえ。
おいら:リズムボックスだけでもダンスできるというか。
おいちゃん:はあ。
おいら:で、おいらの写真の世界観というか、おいら自身の世界観は、整理された虚無と混沌なんだろうなと。そして、どんどん人間を信用できなくなってる。愛が世界を救うという一面はあっても、ウィ・アー・ザ・ワールド的なものはむしろ胡散臭く感じる。撮影で人気のない場所に行くとせいせいする反面、道の駅とかみつけて入るのはやっぱり人間を求めているからなんだけどね。まあ矛盾だよ。人類が滅亡したあとの風景を現世で探していて、人類の痕跡を人工的なものなんかに発見する写真というか。

おいちゃん:整理された虚無と混沌ってわかりにくいよ。わからんし。
おいら:これはおいらの人間性なんだろうけど秩序が大好きなの。人間がこしらえた秩序は嫌いなんだけど、幾何学的秩序とか科学の法則とかは大好きなわけ。人間がつくった秩序なんて価値観が変わればがらっと変わるし、秩序で考えや行動を規制されるのはヘドが出る。でも、幾何学的な法則性なんかは不変のもので、これらは整っていてほしい。これは静物の作品でかなり意識しているところで、やっぱり風景を撮影していてもぜったいはずせないものなんだよね。どんどん純化させたい。
おいちゃん:でも混沌は外せないと。
おいら:そう。これがさっきの写真だったら、岩だけに違和感としての主たる被写体だったりする。で、この違和感というか異質な要素が意味をもたらしてる。まあ漠然とした意味で、そこに政治的な意味とか言語化しきれる意味はないのだけどね。

おいちゃん:じゃあ、雲は整理された虚無ってことか?
おいら:整理された虚無は、主に構図だな。あとロケ地の単純さ。雲は、リズムセクションのビート的なもの。ノリをつくる表情とかさ。ドラムって音色がどうこうあんまり言われない楽器だけど、バスドラムがボスッて音かボムッて音かで想像以上にノリが変わるのよ。ベースだってそう。ギターのカッティングもそう。こうした抑揚というか色合いの要素として、雲がつくる無限のパターンは重要に感じる。それと写真的な面白さというか、写真的なものの本質があるんだよね。こうした写真的なトーンが雰囲気を確実なものにするっていうか。
おいちゃん:じゃあこれらが「地の文」なのね。
おいら:そうそう。世界観のバックグラウンド。

おいちゃん:仕上げって話があったけど、あの空とかはそのまんまじゃ絵にならないの?
おいら:雲とか海とか砂とか、特に色がないモノクロにして単純化をはかってるだけに、撮影したまんまではないよ。どうやってるかはサイトの中で散々説明してきたけど、喋って説明してもわかりにくいだろうね。
おいちゃん:そういう実際とは何かが違う表現は、どうしてそうなるの?
おいら:どうしてっていうのは技術的な方法のこと?
おいちゃん:ちがう。どうしてそういうふうにしたくなるのかと……。

おいら:振り返ると、最初の頃はモノクロでどうやったら写真的に成立するかを考えてたね。自然界では色で区別がつくものが、モノクロ化で区別がつきにくいとか、色が織り成していたトーンがなくなるとかあるわけだから。ところが、だんだん世界観を端的に表すための表現というか現像技法になっていった。すごくつまらない話をすると、海の色は空の明度によって決定されるわけ。もちろん、それそのものではないけどね。空が暗いのに海面が明るいというのはない。だけど、何を言いたいかを突き詰めると、こうした自然条件を無視してもいいんじゃないかと。で、以前はけっこう緻密にマスクを切ったりしてたけど、最近はそうしないでも容易にコントロールできる方法を見つけたので細かなマスク処理はしてないよ。海面に限らず。
おいちゃん:へえ。で、どうやってるかは秘密と。
おいら:秘密でもないんでもないし、これも説明してきたことでもあるし、結局はおいらの世界観でしかないと。だから、そのまんま真似しても誰も得にはならないもので。真似だけすると、けっこう汚い絵づらになりがちだから詰めの部分が重要なんだよ。で、どこからが汚いかは人それぞれで説明しようがないのよ。

 

Fumihiro Kato.  © 2018 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なり人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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