能力は輪廻転成する

⚠︎ ページの作成日を確認のうえご覧ください。
内容が古くなっている場合があります。

写真の話をする前に、明らかな例を挙げてみたい。

Led Zeppelinの何がすごいかは、なんといってもメンバー各人が明確な位置付けの上にいて、ジミー・ペイジは自身を含めてのプロデューサーであり、ロバート・プラントは稀代のボーカルで、ジョン・ボーナムはグルーブの発電所で、ジョン・ポール・ジョーンズはこれらを統括する懐の深い高度なセンスと音楽性を持っていた。ジミー・ペイジのギターリフはキャッチーかつバラエティーが豊富で、これが才能から生まれるのはあたりまえだけど、Led Zeppelinがどのようなバンドで何を目指しているかプロデューサー視点で常にバンドを見ていたから可能になったのだ。Led Zeppelinがメンバーを獲得しながら音楽性が絞り込まれて行く過程で明らかなように、バンドの核はジョン・ボーナムのグルーブだ。あれだけ説得力があるドラムなのだから、こうなって当然だ。しかしジョン・ボーナムだけではバンドの音にはならず、ジョン・ポール・ジョーンズとのリズム隊があって、この二人が上に乗っかるリードパートをコントロールしているというか、盤石な土台となって支えてLed Zeppelinになっている。ジョン・ボーナムと言えば常に音量、音圧の話から振られがちだけど、それよりキモは重くて説得力のあるグルーブで、リズムをキープしているだけでもビートが自在に唄っているところだろう。

数ヶ月前、日本人の8歳の少女相馬よよかさんのドラミングが世界中で話題になって、Led ZeppelinのGood Times Bad Timesを演奏しているのだけど、これをロバート・プラントが目を細めて絶賛している。「簡単じゃないんだよこれ。彼女の仕事がどこにあるか僕は知ってるよ」と。十数年以上前となるとジョン・ボーナムが繰り出す三連頭抜きのンドド、ンドド、ンドドを演奏できるドラマーは数が限られていたし、今だって誰もがグルーブ感たっぷりに演奏できる人は少ないのに、よよかさんはバスドラのペダルに足が完全に届いてないにも関わらず完璧にこなして、しかも笑顔さえ見せている。平和で和やかな天国に37年もいれば退屈になって、また太鼓を思いっきり叩きたくなったジョン・ボーナムが転生して蘇ったのではないかと思わざるを得ない。前回は大工さん出身のむくつけき男だったから、今度は女の子にしてみるかとばかりに。いくら生育環境がよくても、8歳で自在にグルーブの重さをコントロールしながらンドド、ンドド、ンドドとバスドラを発声させて、しかも楽しそうなんて、私がバンドメンバーを探していていつもドラマーが見つけられなかった時代には、いや現代でも驚異的だ。確信を持って一打一打を決めているからキレがいいし、もうなんだかなあ。8歳でグルーブ発電所なのだ。

能力や才能が輪廻転生して、新たな時代の人として生まれてくるのかどうか。あり得ないのだろうけど、そう思わざる得ない2度目、3度目の人生を送っているような才能の人が存在している。それが学習や練習や訓練の賜物であっても、天才は常人が四苦八苦しても到達できない境地をさらっと体現したりするから凡人はがっくりくるものだ。

生命の輪廻転生かどうかは別にして、常人が四苦八苦しても到達できない境地をさらっと体現しているように見えるのは、やはり学習や練習や訓練があるからだ。過去の誰かが経験して導き出したものを、ちゃんと学習して自らの手で産み出せるまで練習や訓練をしてるから、この先にある新たなナニカをさらっと誕生させているように見えるだけである。これを「教養」の差と言う。相馬よよかさんは才能があって才能を開花させる環境があったのだけど、ここに至るには学習や練習や訓練を経ているのだ。つまり才能があったうえで、8歳にして音楽的教養が豊富なのだ。学習や練習や訓練を苦行ではなく楽しみとしてこなせるのもまた才能だ。ここから言えるのは、多くの人は才能以前に学習や練習や訓練をしていないから、先人が残した遺産を継承できないままであるということ。

画力はそうとうなものでも、壊滅的に写真が下手な人はかなり多い。これは、本人がどう言うか別にして写真を撮る気がないとか、実在する要素を構成する能力に欠けているとか、やはり過去の写真作品をまったく鑑賞していないのが原因なのだろうと思う。グラフィックデザイナーの多くが、画力がほどほどの人であっても大概のケースで写真をそつなく撮影できるのは、構成力が本質の職種であるし写真をたくさん鑑賞しているからに違いない。写真的教養が豊富なのだ。写真撮影は、画角の中に実在する物体をいかに構成するかに尽きる。何を言いたいか、どう見せたいかコントロールする術としてピンを置く位置、絞り値とシャッター速度、露光量などを操る必要があるけれど、いの一番に取りかからなくてならないのは構図だ。写真で構図を取るのと絵画の構図は何も変わりがないとも言えるし、写真ではより不自由とも言える。ここに大きな違いが生じる。写真の技能が一定以上の水準にある人は、自らの経験だけでなく、やはりかなりの写真作品を見ていて、言葉で説明できなかったとしても画角内にあるものを構成するための基本形がわかっているのだ。絵を描く人に多いのだけど、「画角」の概念がすっぽ抜けている人がけっこういる。

絵画ならデッサン、最終的にデフォルメするとしてもスタートはデッサンだし、技巧をどっかに放置したまま描くとしても基礎からやり遂げた人と、むちゃくちゃだけの人は違う。多少の異論はあるだろうけれど、完全に間違っていると主張する人はほとんどいないだろう。ところが写真は、機材さえあれば誰でも撮影できて、私が傑作を残せないのはロケ地やモデルが最適化できないからだと堂々と言う人がいる。それでなくても素人には、機材を買うのに忙しくて基本をマスターしない人とか、過去から現在までの作品をまったく鑑賞しないままの人がたくさんいる。これで才能が凡庸なら、どうしようもない。写真的教養がまったくないのに声だけ大きな人が大手を振るうのが、古今東西の写真界隈だ。どうしようもないまま撮影するのは違法ではないし、誰も止められるものではないけれど、まあこういう人は発言権がなくてとうぜんである。発言権がないのもどうしようもないのも不平等ではなく、才能がある者と才能がからっきしない者との間に深くて暗くて長い河が横たわっているし、鑑賞値や経験値つまり教養の有無にも超えられない壁があるのだからしかたない。超えられない壁は歴然と存在していて、この部分だけ取れば上下優劣がはっきりしている。それでも人間は多様な要素で成り立っているので悲しい気持ちになる必要はなくて、もっと自分に向いている何かに精進すればよいだけである。精進しないなら、これまたどうしようもないけど。

写真の親方がアシスタントに「もう田舎に帰ったら」とはっきり言ったり暗に示すのは、写真だけが人生ではないから早いところ自分を解放できるうえに能力を発揮できる分野に向かうのが人の幸せだからだ。あと自分で自分のための勉強をしない人にも、こう言う。写真が広告表現等など複数の才能が集まる場で使われるなら、Led Zeppelinのメンバーがそうであったように適材適所の能力によって相乗効果が得られるけれど、一人で取り組む際にはプロデューサー、ディレクター、マネージャー、写真家を兼ねないとならない。というか写真家の場合プロデューサー、ディレクターを兼ねるのが普通とされるから、せめて鬼マネージャーとしての能力を獲得する必要がある。マネージャーは世の中からプロデューサーより一つも二つも低く見積もられるけれど、そんなことはなくてこれだって過去からの遺産をちゃんと継承できていないと仕事にならない。ほら、ここまでしないと(たとえドンキホーテが風車に挑みかかる的なものであっても)世間と闘えない。

結局のところ冒頭にも書いたけど、結果は才能が90%決めている。才能が生み出したものは、後世に継承されてあたかも輪廻転生したかのように誰かに憑依する。なぜ時代が下るほど広い範囲に技能が存在するようになるのかと言えば、勉強と鍛錬があれば過去の才能が切り開いたものを獲得できるからである。ドラムの話で始まったので例にするなら、ロックが誕生した時代は8ビートのリズムを刻めればそこそこ商売として通用したけれど、今どきは相馬よよかさんのような人がいてやっとこさリズムをキープできるだけの人はお呼びではないのと同じだ。日本の絵画で言えば、もともと識字率が高くて墨と筆を持っている人が多かった上に、近世になると版元から大量かつ安価に版画が発売されて、これを買う人も真似る人も圧倒的な数になっていて、現代では初等教育から絵画を勉強している上に画材が豊富にあるし漫画を模写するのもごくごく自然で、だから絵が描けるだけでは図抜けた評価を得られないのだ。肥沃な土地にしか甘い果実は実らないのである。肥沃な畑に甘い果実が実るの横目に、肥料を与えず水さえケチって酸っぱい果実しか実らないのを正当化するのはとてもカッコウが悪いし不幸せなことなのだ。そして能ある鷹は爪を隠す必要なんてまったくなくて、酸っぱい果実しかつくれない人を装って教養や鍛錬がない人をわざわざ安心させるなんて馬鹿馬鹿しい限りなのである。Led Zeppelinも相馬よよかさんも能力を隠してないだろ?

Fumihiro Kato.  © 2018 –

Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited. All Rights Reserved.

 

・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
投稿を作成しました 532

検索語を上に入力し、 Enter キーを押して検索します。キャンセルするには ESC を押してください。

トップに戻る