Milvus 100mmの二線ボケからMilvusを思う

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機材の話をするととかく下品になりやすいし、話すほど使い込んでいないレンズをもっともらしく語るのは詐欺というもので、このあたり自重しながら話を進めたいと思う。

Milvus 100mmの二線ボケは知られた話だと思うし、私も束の間試用して感じるものがあり、とても興味深いレンズなのだが二の足を踏んでいる。背景処理を容易にコントロールできる撮影台上でマクロとして使うならなんとかなるし、私が使う場合はこれがほとんどなので気にするほどのことはないのかもしれない。このように偏った感想を抱いているので、Milvus 100mmそのものの話よりMilvusシリーズの比重を多めに本稿を書こうと思う。

Milvusの兄貴分にOtusがある。Otusは、それはもう隙がないシリーズなんだけど、価格設定がかなり高いこととMilvusで十分すぎることもあってラインナップの拡充が止まっている。平たく言えば、売れなかったのだ。いっぽうMilvusは一通りレンズが揃い、Milvusだけでもほとんどの撮影が可能だろう。現在コシナツァイスでClassicとされている旧ツァイス銘のレンズのうち、どう考えても設計が古びている50mm F1.4と85mm F1.4がMilvusでは新設計になったのは、とうぜんだろうし喜ばしい。でもMilvusのほとんどが現Classicの微調整版モデルで、中には再設計したほうがよかったのではないかと感じるものがある。

Milvus 100mmは微調整版だ。二線ボケについては冒頭に書いた通りとはいえ、人によっては美点しかないレンズかもしれないので、ツァイスとしては新たに設計する必要性を感じなかったのだろう。マクロではないレンズでは優等生というか天才級の135mm F2が中望遠長め担当で存在しているし、100mmが煩雑な二線ボケのレンズだったとしても当面はこれでよしと先送りされたことにさほど違和感はない。現Classicの企画設計時よりMilvusのほうがコシナに対するツァイスの関与が強くなっているので、もともとボケの質に重きを置かない海外ブランドということもあって、このような判断に至ったのかもしれない。なお135mmも微調整版であり、微調整版も様々なのだ。(追記.MilvusとClassicの違いは高画素デジタル対応か否かであるとアナウンスされていて、これは間違いないだろう。だが思うに、Milvus化することでツァイスはブランド政策を一旦初期化しようとしたのではないかと感じる。Classicと呼ばれる前のコシナ・ツァイスのレンズはヤシカ・京セラコンタックスのオマージュというか懐かし路線で、フォクトレンダーのようなコシナのブランドビジネス一端だった。これが、まさに50mm F1.4と85mm F1.4だ。だが、ラインナップを拡充する内に明らかに過去とは違う現代的な新設計レンズが登場した。50mm F1.4と85mm F1.4は懐かし路線が通用するが、流石に往年の超広角のままではどうしようもない。後述の超広角や135mmに懐かし路線は微塵もない。このように、コシナのツァイス銘レンズ群は混乱していたと言える。コシナとしてはこのままでもよかったかもしれないし、あるいは矛盾を意識していたかもしれない。ツァイスはコシナ・ツァイスのニコン、キヤノンマウントで高性能レンズが着実に売れていて、50mm F1.4と85mm F1.4があのままではブランド価値によい影響をもたらさないと考えていたのではないか。権利元のツァイスは現代の基準で販売するOtus、Milvusを新設して、まだまだ売れているラインを明らかに違いがわかるClassicと名付け整理した結果が、現行のコシナ・ツァイスなのだろう)

これは使わないなと感じる微調整版に、Milvus 18mmがある。このように感じているのは私であって、おまえが四六時中使っている15mmのほうがよっぽど使えないだろと言う人がいても驚かない。レンズに求めるものは人それぞれで、DXOが公開しているテストの得点だけが唯一無二の評価軸ではないし、あたりまえだが私の好みでレンズの優劣が決まるわけではない。私は私の独自基準でMilvus 18mmを、現Classicにラインナップされたときから私向きではないと敬遠している。なんというか、(私が期待しているものが)ちょいと写らないレンズと感じるのだ。被写体をがっつり塊として写すには向いているかもしれないが、望んでいるトーンが出ない。100mmのようにこのままでよいと主張する人もいるだろうが、どうせならMilvusにするときガラッと新設計にした方がよかったのではないかと感じる。ここが100mmへの感想と異なる点だ。15mmにも歪曲をもっと小さくしてもらいたいとか、言いたいことはある。でも、現在選択し得る超広角の中で最も信頼できるレンズがツァイスの15mmなので、Milvusに更新しないまま現classicに分類されたモデルを使い続けている。このレンズはかっちり絞って相当なものなのはあたりまえだけど、絞り開放の描写もなかなか味わい深いところがあってとても心強いのだ。絞り開放とか半段くらい絞ったときピントが及んでいるところはちゃと解像しているし、心もとなくなっている部分にリッチな雰囲気がある。曖昧な主観的表現だけ書いて断定したくないのだけど、今回の趣旨はレンズの順位づけではないのでこのまま進める。

レンズを選択するとき大切なのは、自分の使用実態に照らし合わせて何が不可欠で何は二の次にしてよいか整理することだ。使用実態を整理しきれない人は、いろいろ買って使って学習するほかない。確実なのは純正レンズだけを買う方法だ。純正は高い? まあ高いのもあれば安いのもある。でもね、もちろんよい品が安いのは理想だけど、写真はほんとお金がかかるものなのだ。そして自分の使用実態や作風について定見ができるまでは、無駄な買い物が多くてつらいものなのだ。こうした時期を脱すると、やたらな買い物をしなくて済むようになって、防湿庫の肥やしにする道具は皆無にできる。大切なのは自分が何をどうしたいかであって、機材提供元を思いやって褒める言葉だけ書き散らかすあっちこっちの機材評論家の言葉ではない。素人のレビュー含めあの人たちは、いっつも褒めてるじゃないですか。冷静になって読めば、いっつも同じところを褒めていて、ブランド名を入れ替えてもだいたい同じ内容だ。というか、レンズ評論の定型句にわざわざはめ込んでいるからああいうことになる。たしかにレビューの定型から大きく外れると、どこをどのように読んでよいか読者は迷うだろう。でもね、もう時代遅れだ。DXOの加点基準に納得いかないところがあっても、ああいう感想文ではダメだ。歪曲はどっかの壁を撮影する、解像度は遠くのビルか観覧車を撮影する、ボケは公園のチェーンの鎖を撮影するっていうのもいいけど、メディアがやるのだったら金かけてテスト環境つくるくらいした方がいい。その上で、独自の視点で感想をどんどん書けばいい。レンズ評論家に品物渡して締め切りは何日と言い渡すだけの現状は、試写が前述のように貧乏くさくて客観性が乏しいし、時間と金がまったくないのが透けて見える。で、Milvus(あるいは現classic) 100mmの美点と欠点をちゃと示唆した人がどれだけいたかって話になる。

ツァイスだから完璧なんてことはない。コシナ・ツァイスの美点は品質管理が厳しく厳密なところで、試写しないまま通販で買ってもほぼ間違いない品質のレンズが手に入れられるところだ。それと付属パーツ(フードとか)を欠品させず、まっとうな使い方をしていれば下取りに出すときリセールバリューがよいところだろう。しかし、だ。人それぞれ求めるものは違うので、場合によっては使い潰すのが前提の撮影だってあるし、私が何があっても認めないS社がよいという人もいるのだから、Milvusのこのレンズを買っておけとは言えない。

純正レンズといっても、いろいろある。たとえばニコンはボディー含め、お金を稼ぐための機種は象が踏んでも壊れない的な堅牢さで、しかも画質についてもお金を稼せげる基準を満たしている。でも、他のメーカーもそうだがファミリー向けのものはそこまでする必要がない。報道の人はがっつんがっつんぶつけたり落としたりしながら、オートファーカスは常に外さず、みたいなものを求めているだろうから、これを裏切ることはできない。ではフラグシップとされるもっとも明るいレンズばかりお金を稼ぐための人が使っているかというと、それは違う。明るさより小型軽量を求めたり、過酷なところで使うから壊れて捨てるのもしかたないと割り切って選んでいたりだ。選択する上で定見がない人は、大三元(この下品な呼び名、はやく滅んでくれないかなあ)のレンズを羨望の眼差しで見るだろうけどね。

過去にMilvus 135mmについて書いたとき、頭の中にあったのはキヤノンのFD 135mm F2 と 85mm F1.2だった。なにごとも駆け出しだった私は、どうせお金を出すのだから買わなくてはいかんでしょと無理をして手に入れた。でも、当時の基準からしても扱いやすいとは言えないもので、開放近くの絞り値では求める画質というかテイストを最後まで実現できなかった。80年代の後半(まだライカ判はnewF-1を使っていて)、売り出し中の女性アイドルグループWの宣材を、代理店の仕事とは別の個人ルートで撮影したのだけど、様々な可能性を試す意図があり様々なシチュエーションで撮影したうち、絞り開け気味のカットはウェットすぎてというかモデルが誰であれ「やっぱり何か違う」不本意なものに終わった。このとき、意図を忠実に活かせるレンズでなかったら、いくらお高いレンズだったとしてもダメなのだと改めて痛感した。

過去になぜ私がMilvus 135mmはいいよと言ったかだ。私にとっての理想そのものだったからだし、135mmが求められる撮影では内容の如何を問わず万能だろうと感じたからである。絞り開放からトーンが驚異的に出るし、かつてのFD 135mmとは隔世の感がある。同15mmも然り。さらに、この焦点距離の単焦点がニコン、キヤノンでは、他を求める人は知らないけれど私にとっては何事も古すぎたり、物足りなく感じる。Milvus 35mm F1.4はとてもよいと思うけれど、(現在のところ)私には焦点距離がしっくりこない。F2もよいが、同じ理由で所有していない。でも、35mmを求める人には「ちゃんとしたよいレンズだよ」と助言できるレンズだ。もしツァイスの値段が気になるなら、非純正ではタムロンの35mm F1.8がよいのではないかな。35mm F1.8は、ツァイスのレンズでは絵の調子が重すぎると感じる人には向いていると思う。

ではMilvus 100mmの話に戻そう。二線ボケというかボケの煩さはボケ評論家と程遠い私にも感じられるけれど、総合点はかなり高く見積もってよいのではないかな。私はニコンの105mm F2.8のマイクロを年がら年中使っていて、世の中の評判は様々だけど今のところ買い換える気はさらさらない。仮に修理不能の故障の憂き目にあっても、2018年7月現在ではまた同じレンズを手に入れることになるだろう。もちろん私にだって105mmマクロについて言いたいことある。でも、こんな具合なのだ。

Fumihiro Kato.  © 2018 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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