いつまで福島県を、浜通りを馬鹿にし続けるのか

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私は「311への旅」の連作を撮影するため福島県の浜通り(福島県の太平洋側を南北を縦貫する地域)と関東を行き来している。相馬、南相馬、浪江町を中心にして双葉町、大熊町を通過し、現地で滞在はもちろん食事もしている。福島第一原発の事故で汚染された場所、除染された場所をつぶさに見ている。では、どこかの誰かが騒いでいるように私は健康を害しただろうか。これら被災地では、日本の他の場所で実施されていない線量の観測、食品検査が実施されていて、むしろ公然と発表され続けているため放射線量の透明性が高いのである。

ところが、こうした観測や検査結果を捏造されたものであると言い続け、頑なに事実を直視しようとしない馬鹿者が多く存在する。そこまで福島県ならびに浜通りを貶め、我が国の危機であると言うなら、馬鹿者たちは現地に赴いて真実を調べるべきだが何もしないのだった。被災地は津波で破壊され、さらに原発事故で苦渋を舐めた。被災地つまり人々が苦渋を舐めたのだ。いつまでも明らかに誤った情報を根拠に危機を煽る者たちは、この地に人が暮らしていて、人々がデマによって苦しめられているのを想像できないのだろう。なぜ真実を見ずして適当なことを大っぴらに発言できるのか、人々が苦しむのを想像できないのか、まったく理解できない。

こうした馬鹿者たちは、引っ込みがつかなくなったのかもしれない。あるいは鬱憤や鬱屈を当てつけて、気分がよくなっているのかもしれない。こうした馬鹿者同士から発言が評価され賢くなった気に浸れるのかもしれない。商売に利用する下衆も存在している。人はここまで薄汚い存在になれるのである。

いつまで福島県を、浜通りを馬鹿にし続けるのか。ぬくぬくとした環境からスマートフォン片手に、実在する人々を貶し続けることができるのか。

 

Fumihiro Kato.  © 2018 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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