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リンゴ、いやこれからの季節ならモモを机に置いたままにすれば、腐ることはあっても収穫したてのモモ、はたまた花に戻ることはない。人もまた同じだ。と、説教くさい話をしようとしているのではなく、自他共にほおっておけばこうなると事実を書いているまでだ。
そろそろ南東北も梅雨入りするだろう。したがって、この1ヶ月くらいは撮影に厳しい季節になる。では、何もしないで待っていたらどうなるか。机に放置したモモと同じだ。東北に行ってきたばかりなので、これから写真の整理をするけれど、雨を撮るとか、梅雨に発見するとか、したほうがよいかもしれないと考えている。特に、私があと何年撮影したり取材したりできるだろうか、と考えると時間はそんなに残っていない。人は低きに流れるものなのだから、気づいたら元の高さまで戻さなければならないだろう。
そんなこんなの今、ほんの短い時間だったけれど黒澤明作品のダイジェストを観た。お約束の作品、七人の侍だ。はじめて七人の侍を観たのは30年くらい前だった。記憶には「度肝を抜かれた」「眠い頭をガツンと殴られた」「あれはなんだったのだろう」と感動があったけれど、ダイジェストを観ただけで記憶されていたのは言葉に置き換えられた感動だったのだと新たな衝撃を覚えた。つまり言葉に置き換えられた通り一遍のものに成り果てていたのだ。そして、俺はなにをしているのだろう、と再び眠い頭をガツンと殴られた気がした。嗚呼、こうやってマスターピースと呼べるものを、映画に限らず摂取し続けないといかんと我が時間の使い方を恥じた。どうしよう。もうだめ。これくらい自分を恥じ、取り返しのつかない時間の使い方をしたと泣けてきた。
正直、そろそろ個展をやりたいわけです。作品は二、三回個展をやるだけ数だけはある。いやもっとある。なんだけど、いざ作品を選んでいくと納得がいかないのだった。そして黒澤明作品をダイジェストで観ただけで、俺はなにをつくっているのだと(以下、前の段落に戻る)。どんどん私は落ちて行く。引き上げるためには、ガツンと殴られた勢いを利用して、せめて元の高さへ戻さなければならないのだった。
Fumihiro Kato. © 2018 –
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