線が太い、細いレンズの違いはわかるようでこれが

半分与太話です。

どの世界にもわかるような、わからないような独特の言い回しがあり、写真では「レンズの線が太い、細い」がまさにこれだ。レンズの特性を言い表す二線ボケは論より証拠で見たままだし、誰かに説明するときも苦労しない表現だが、レンズの線の太い細いはなかなかに難しい。確かに、ああそうだ! と合点がいくときもあるのだけど、何かの機会に趣向の違う撮影をするとすっかり忘れて気にならなかったりする。このような私が鈍感なのかもしれないけれど。でもレンズメーカー自ら線の太さ細さに言及した例を私は知らないうえに、メーカーは「繊細に」と惹句に書くらいで、太い細いと言っているのは評論家的なことをやっている撮影者くらいのものだ。

レンズの線が太い、細いを説明しようと思ったのだけれど、違いを写真で例示しようにも条件が異なるものを比較しても意味がないし、条件は同じで画角も変わらず別のレンズを比較した撮影なんてしてこなかったので都合のよい画像が見当たらない。なのでちょっと乱暴な話をすると、フォーカスをやや外して電線を撮影してみるとわかるような気になるよ、と書いておく。この例では広角レンズは被写界深度が深いからわかりにくいけれど、絞りをあけ気味にして手前から奥へ続く電線の1点にフォーカスを合わせると、ボケの推移とともに線の太さ、細さについてのナニガシかがわかる。電線が太く見えるレンズと、細く見えるレンズがある。ボケが大きくて太く見えるというのとは違う。ただ、この解釈でよいのか私は自信がない。間違っていたら申し訳ない。

で、ちょっと思うところがあるのはツァイスのMilvus直前期に設計されたレンズとMilvus(Otusは持ってないから知らない)だ。これらのレンズはファインダー像を見るだけで線が細いと感じる。Milvus直前期に設計されたレンズの15mmは、線が太くなるところをねじ伏せて線を細くしたように感じる。実際に設計者がねじ伏せたかどうか知らないが、感覚的に頑張ってる感がある。Milvusの135mmもMilvus直前期に設計されたレンズの改善リイシューで、こちらは圧倒的に細かな描写だと思う。私は線が太い細いと表現する習慣がないから、推測でこういう意味ではないかと書いたまでだが。

レンズの線が太い、細いは解像能力と関係があるのかどうか、だ。太い、細いが解像性能について語る言葉だったら、いまどきは数値で説明しているのだからわざわざ感覚的な表現を用いる必要はない。しかし、いまだに太い細いと言われるので解像性能と別のナニカを表現していると考えたほうがよいだろう。空間周波数が高い場合に解像性能を発揮するレンズは線が細く、逆に低いものに解像性能を発揮するものは線が太いとする意見がある。ただこれは、空間周波数が高いものに解像性能を発揮できるなら、低いものにもとうぜん発揮できるのではないかな。そもそも空間周波数が低いものしか解像できないのを、解像力がないと言うのではないか。どうなんだろう。空間周波数が高いとは、空間的な周期性を持つ繰り返しが多いものの状態だ。シマシマが密に連なっているのを想像して、だいたい正解だ。例えば、10cmの幅に1mmの線で1mm間隔でシマシマを書いたものと、1mmの線で2mm間隔でシマシマを書いたものでは、前者のほうが空間周波数が高い。そして空間周波数と太い細いを関連づけて説明する人は、樹木を引きで撮影して葉っぱの分離と幹の太さ感の違いなど例示して言う傾向がある。しかし、幹っていうのは空間周波数云々以前に太いものであって、だ。でも言いたいことはわかるような気もする。

あくまでも私見だが、線が太いレンズと細いレンズの見分け方として冒頭のチェック法のほか、現像ソフトで「明瞭度 / Clarity」と「構成 / Structure 」を極限まで上げて見るとレンズの差(違い)がわかりやすい。クラリティーは、霧の中の物体をはっきりさせる効果がしばしば例示され、明暗の差が曖昧な比較的大きな塊に対して差を拡大させる効果と言ってよいだろう。ストラクチャーはCapture One固有の操作で、シャープネス効果をかけて細部の分離をよくするものと、私は解釈している。アンシャープマスクとストラクチャーは効果が異なり、アンシャープマスクは明暗差を輪郭と認識し輝度差が大きな輪郭線を引くもので、ストラクチャーでは同様に輪郭を認識させたうえで主に輪郭内の面に輝度の差を大きく与えるものではないかと感じる。こうした効果を極限まで上げると、線が太いレンズは物体の輪郭部が線が細いとされるレンズより太く描画される(ように思う)。

もともと何を言っているのか、言っている人が定義を説明しないまま一般的に使われる言葉になっているのだから正体がわからなくて当然ではある。私は線の太さ細さという物言いをしないからいいけれど、これを言う人はちゃんと定義しないとならないのではないか。雰囲気だけ、ではどうしようもない。私がなんとなく察するところでは、焦点が合っているところだけに違いが感じられるのではなく、むしろと言ってよいのかわからないがボケの領域にも何らかの作用があるので、解像能力とあまり関係がないのではないかと思われる。そして、人によっては解像感の低い塊状に描写される様子を言い、別の人は異なるものを指して言い、どうにでも取れる表現だけにこれらがごっちゃになったままなのだろう。

ボケなど焦点が合っていないところにも感じられるものならば、たとえば階調性が悪いレンズのストンと暗部が落ちるところが、結果として「線」が太くなると言えそうだ。このような描写を、私は現像時に意図的につくって生々しさを消して、現実と違うふてぶてしさというか絵画調の絵づくりをすることがある。シグマのレンズの傾向として解像しているけれど線が太いとされるのは、きっとこれだ。世界が白黒2値のチャート状のテクスチャーで埋め尽くされているなら別だが、複雑な階調が入り混じっているため、階調性が悪いならディティールは団子になっていわゆる線が太い描写になる。階調性が線の太さ細さの原因なら、焦点が合っていないボケの領域に影響が出る理由にもなる。これ以外はいまのところ思いつかないので、他にこういった事例があるから間違っていると言われても、まあ困る。最近はシグマの宣伝上手にコロッといっている人が多いので、線が太いなんて嘘っぱちだ繊細極まりないと怒られそうなのも、困る。

ニコンのレンズも、そんなことないのに線が太いと言われているらしい。前述の線の太さの原因が階調性の欠如で間違いないとすると、ニコンのレンズが硬いと言われる理由が二つ思いつく。私が知っている範囲で70年代から80年代いっぱいのレンズは、他社が現代の感覚からしてかなりもっさり抜けが悪かったのと比較してニコンは段違いの描写性能がありとにかくしっかり写った。私はミノルタから入ってキヤノンをライカ判で使用していたのでニコンは硬いと思って敬遠したのだが、ミノルタやキヤノンのレンズに合わせたフィルム現像のレシピでは、ニコンの描写が硬くなって当然だったのだ。もちろんフィルム現像から仕上げまで一切合切レシピを変えれば問題解決だが、暗室の職人さんのように何もかもわかっていた訳でなく、しかもレンズの違いについて本質がわかっていなかったのだから食わず嫌いのままだった。Ai s レンズを使って現代のデジタルカメラで撮影すると当時と印象がまったく異なり、ちょうどよい塩梅でシャドーが潰れることもないのだった。いまどきAi s レンズを使って階調性がダントツで悪いと言う人はいない。あるいは、この高画素デジタルの時代に数十年前のAi s レンズを使っている人や、使いたいとする人がいることからして驚異で、あんなに古い設計なのに2010年代でも通用しているのだ。フィルム現像をやったことがある人なら思い当たるだろうけれど、ともすると硬く仕上がるというか現像が上達しないと硬いままなもので、紙焼きでの仕上げを含めて階調豊富な画像をつくるのは難易度が高い。当時のプロの写真にも下手くそな暗室仕事の作品がある。いっぽうカラーネガをラボで現像した場合、ニコンが特別硬いと言われた例を私は知らない。硬いと言っている人は自家現像しているモノクロを例にしているのだ。現在はまったく違うのだがかつてニコンのレンズと他社との間に大きな隔たりがあったことと、輪をかけて暗室仕事のアレコレが相乗効果で硬い、線が太いになったのではないか。90年代のレンズでさえ、キヤノンはヤワいところがあった。と、デジタル化以降にニコンに鞍替えした私は思う。ニコンか他社か問わず、古いレンズは現代の感覚からすると全般的に線が太いことも書き加えておく。

対してシグマのレンズの傾向として解像しているけれど線が太いとされるのは、他の要因もあるうえで微妙な色のディティールを正確に記録できないレンズだからだ。私はシグマのレンズのうち150mmマクロを焦点距離の面白さから所有し、のちに人づてで手に入った85mmを使ったことがある。どちらも異常な発色をすることがあり、シアン系、グリーン系の波長が関係した色がベタ塗り調で不自然な状態になった。他の方から聞く話も現在に至るまで一致している。これは硝材の選択に対するコーティングが不適切だからで、コーティングの不適切さは色だけでなく逆光時のゴーストなどにも現れている。本来なら様々な色が織りなすディティールが記録されるべきとき、色によるディティールが団子になってベタ塗りになるのだから塊になった箇所は線が太くなって当然である。どこかの機材評論家がトキナーの新レンズについて、シグマのような解像感であると同時に線が細い、シグマは線が太いけれど両者の違いが生じる意味がわからないと言っているが、なぜ評論家が真相を理解できないのか首を捻らざるを得ない。

いずれにしても「レンズの線が太い、細い」と言いがちな人は、こうした現象がいかにして発生するのか、はたまた自らが注目している現象がどのようなものか定義できていない場合が多い。オーディオの世界はオカルト信仰だと言われるけれど、「音の線が太い、細い」と書けば音を構成する情報が豊かか貧相、倍音が豊かか貧相と大まかに定義されている。「レンズの線が太い、細い」は定義さえあやふやで人によっては別の現象を指している可能性すらあって、これではレンズを評価するうえで使えない。直感的に把握できる印象をレンズの評価軸にしてもよいけれど、できる限り誰に伝えても意味が伝わるように、合理的に説明しなければならないだろう。

 

Fumihiro Kato.  © 2018 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なり人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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