ラーメン店店主のポーズがアレになった理由

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ラーメン店の店主が腕組みをするようになったきっかけを私がつくった訳ではまったくないが、腕組みして頭にタオルを巻いている姿の写真を80年代のおしまい近くに撮影した。これは結構初期の一例だったのではないかと思う。そもそもラーメン店の店主のポートレイトが看板や記事に使われるようになったのはせいぜい90年代末から21世紀に入ってからだろう。これ以前はラーメン店の店主がメディアに取り上げられる例はほんとうに稀で、現在のように主要な情報としてラーメンが語られてもいなかった。多くの有名店は「知る人ぞ知る」あるいは特定の「街を熟知した人が知っている」ものだった。もちろん看板など店回りに店主の写真がどーんと配されるなんて見たこともなかった。

私がきっかけをつくった訳でなく、80年代半ば以降各所、各機会ごとにポーズが自然発生して、いつしかこれを求める店主が増えたのが現在の状態であると考える根拠は、どうしたってああいうポーズにしたくなるからだ(私の経験で言うなら「したくなったからだ」)。

当時私は広告代理店の中の人で、撮影は別の経路から依頼を受けたり自分の作品をつくったりしていた。あるとき編プロの人の知り合いの知り合い(つまり縁が薄い人)のたっての希望で開店準備の何やらのための撮影を頼まれた。ノリノリで関わりたい仕事ではなかったけれどお金はちゃんと払うという約束があったので引き受けた。依頼内容の一つに店主のポートレイトがあった。新店舗はまだ内装が終わっていないとかで、店主の自宅や編プロの事務所で行いポートレイトも編プロの一室で撮影した。といってもスタジオ完備ではないから、室内の白い壁を背景にして抜きで使える程度のライティングで撮影することになった。

半身像を求められていたので、ラーメン店店主に限らない当たり前なポーズをいろいろ試したけれどどうにもこうにも収まりが悪い。店主はモデルではないからポーズが決まらないのだ。特に苦労したのは両手の扱いで、起立! の姿勢では証明写真的というかマグショットみたいになる。かといって、モデルが取るようなポーズをつけてもラーメン店のどこに使うのだろうといった感じになる。どうにもならなので腕組みをしてもらったところ用途・目的から違和感のないものになった。これと同時にタオルのハチマキも採用した。

この店主が日常的にタオルのハチマキを巻いていたのか知らないけれど、本人が店主らしいのを撮ってもらいたいと希望し、こちらからも当日は新規開店の店の厨房に立つ姿で来てくださいとお願いしてあった。全身像は撮影しなかったけれど長靴も用意してもらった。ハチマキを巻いてカメラの前に現れた店主を見て、こういったタオルハチマキは見慣れないものであったし、外部に出す写真として適切かどうかとても悩んだ。昨今のもののように、あんなに太く分厚くはなかったけれどね。ADが関わる仕事なら彼らが決定するところだが、結構雑な部分の多い撮影をせざるを得なかったので、こうした細部は私が考えなくてはならなかった。どうにもタオルが異様に見えたので最初は「ナシ」で撮影をはじめたのだが、途中で髪型が気になって仕方なくなった。

ヘアメイクさんがついている訳ではないし、店主には申し訳ないけれど一般人だから宣伝材料に使われるらしい写真の主題になるには中途半端な顔貌で、どうしたものかとモヤモヤしたのだった。いまどきは関東西部の高速道路や幹線道路を車で走っていると歯医者さんの顔がどーんとレイアウトされた巨大なポスタボードがあるけれど、こうしたボード広告は想定しなかったが当時そういうものがあってもかなりのキワモノだけだったので、店主の顔がありありとわかる写真の使い途に不安も感じた。ポートレイトが何に使われるかわからない部分があっても、まさか記念写真としてアルバムに貼られるものではないのだけは確かだ。七三別けではないけれど、坊主刈りでもないし長髪でもない床屋さんカットの髪型を隠し、顔の曖昧な感じをハチマキで分散されることを目論むほかなかったのだ。つまり全体像でラーメン店店主であることがアピールできればよいだろうと舵を切った。

で、これは私に限らず同時代の他の撮影者も感じたのでないかと思う。もちろん店主本人からハチマキをして腕組みというアイデアというか要望があった例もあるだろう。いろいろ撮影して店主がこうしたカットを選択した例もあるはずだ。こうして人知れずじわじわとハチマキ+腕組みが増殖して、(ここからは想像だが)ある有力な店主の撮影で誰が要求したか別にしてこのポーズが採用され、有力な店主であったことからフォロワーがドカンと増えたのだろう。いい面構えの店主やスタッフたちだったとしても、素の状態というかモデルさんとしては彼らは素人である。属性がわからないままなら、単なる曖昧な人、マグショットみたいな姿、よくわからない人々になりかねない。素人は腕組みの決まりごとを含め、属性が真っ先にわかる力強い表現として料理人は仕事着で腕組みは落ち着きどころなのである。むしろ、あれ以外の姿格好とポーズで法則化できるものがあるのか? となる。どこにでも例外はあるけれど。

料理としてのラーメンにも基本形はあれど、和食のナニガシという料理の基本形、フレンチのナニガシという料理の基本形といったものに通じるストライクゾーンまたはルールがない。鶏ガラ出汁や煮干しの醤油スープが古典種なのだろうけれど、豚骨、味噌など独自発生したものがあり、さらに背脂をちゃっちゃっと落とすものからつけ麺など様相にとんでいる。しかも同系統であっても店主のオリジナリティーが問われる分野がラーメンで、何が正しいのか邪道なのか線引きする統一見解がなく旨ければそれでいい世界だ。こうなると群雄割拠するラーメン業界では他を圧倒する旨さとオリジナリティーのアピールが求められ、他の業種以上に店主そのものが注目されるか、店主自身が一国一城の主としてアピールを望むのだった。これも良し悪しで、頑固でなければならないとか独自ルールがなくてはならないとか店主みずからが自縄自縛になり偏屈なだけの店が増えたのも事実である。こうした店が増えたのは、記憶するかぎり2000年代初頭前後のことだ。かつてラーメン店は独自なラーメンを出していても、変な場所にあったり特定の客層に偏っていても、普通に入って注文して食べて金を払って店を出られるものだった。こうした時代に既に評価を得ていた店は、変な客が通ぶって粋がる例はあるがいまだに普通の店である。

ふらっと入って食べて常連になったり、知り合いから行こうぜと連れられて好きになるラーメン店の時代から、いまどきは情報がまず存在して情報に惹かれて店を訪ねるものになった感がある。冒頭に書いたけれどラーメン店とは「街を熟知した人が知っている」もので、新規のラーメン店を教えられたり連れて行かれたとき「あー、この人はこの街の通なんだな」と感じるものから、情報誌そして現代はインターネットで騒がしい店の時代になった。この端緒が80年代から90年代にあり、だから店主が新規開店で宣伝材料の写真やデザインを欲していたのだろうと思う。やがて店の看板に腕組み店主がどーんの時代になり、こうなれば優しい店主というのではアピールが全くないから一刻者のような表情をするのが定番化したのだ。これが前述の2000年代初頭前後の出来事である。だが現在はさらにラーメン店を変え、知的アプローチや普遍性の追求が勃興しはじめた。店主がどーんタイプは郊外を出てさらに国道を走らせたあたりにまだ需要があるけれど。

つい先日ロケの行き帰りに、こうした店の前を通り(というか半年に一回くらいの頻度で通過しているのだが)私は20代のときの撮影の記憶が蘇った次第。ちなみに、このときのギャラはバイクを買う資金の足しにした。2018年の昨日今日の感性または感覚では知らない男が定番の格好で看板になっていて、そこに「ナニナニの名人」的な自賛が太筆の文字で書かれていても「だからどうした」であって味の担保にすらならないけれど、殺伐としたロードサイドで人間の息遣いとか体温とか感じさせるし、宣伝に忙しいところがジモヤンだけのための店ではないのがわかってよろしいかもしれない。ほら、突然目に入る「スナック ほにゃらら」みたいな店は入りにくいし、たぶん自分はお呼びでないなと感じるでしょう?

Fumihiro Kato.  © 2018 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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