やりたくないときはやらなくていい

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「そう言っていられないからつらいんだよ」とタイトルを読んだ人に言われそうだ。でも、つらいならやらなければいいと思うのだ。「そう言っていられない」理由はなんだろう、この問いを20代から40代の自分が心の中に持っていたらよかった。やりたくないものごとに直面しているなら、差し迫っているソレは出発点からして間違っているのである。誰かにとっては真っ当でも、自分にとっては間違った何かなのだ。間違った何かに関わらなくてはならないから、つらくなるのである。「そう言っていられない」と自分を誤魔化して間違っているものごとを放棄しないなら、間違いを継続させているのであって、もしかしたら自ら間違いを拡大再生産している可能性だってある。したがって、やりたくない、やればつらいといった人生がこれからも続くのだ。

なぜ、間違っているものごとに終止符が打てないのか。他人がこしらえた間違いだったなら、他人に媚びへつらうからトドメが刺せないのである。自分がこしらえた間違いなら、間違いを認めやり直す覇気を失っているのである。こうして得られるものがあったとしても、短い人生を無駄にして、さらにつまらなくしているのだからメリットは思っているほど大きくないのだ。「だけど、しょうがないじゃないか」という気持ちは理解できるし、私だって「やりたくないときはやらなくていい」とすべて処理しきれるものではない。でも無駄でつらいものは極力やらないようにしている。やりたくなったら、やる。楽になれるなら、相応の金や時間を割いて悔いはない。

組織の構造は、やりたくない仕事を引き受けなくてはならなくなる仕組みで、これを上から下へ順繰りにバトンを渡して行くことで成り立っている。そんなことをやっていたら社長が経営に専念できないではないか式のもの言いは、言い訳である。もっともらしい言葉だけど、こういうことを言う人に限って楽で、楽しくて、お手柄になって、お金になるバトンはしっかり自分のところで止めて誰にも渡さないのである。社長に限らず、取締役、部長、課長、係長もまた。「だからしようがなく上からきたやりたくない仕事をやっているんだよ」、と言うなら組織と共に腐る覚悟がないなら辞めてしまった方がよっぽどよい。どれだけ人間として腐らずいられるか天秤にかけて計量しつつ決めるのだ。出世をすると責任が増すのは正しいが、出世をすることで責任が回避される組織は上から下へのやりたくいなもののバトンタッチが凄いことになっている。社長が仕事に専念できないというなら、ヒラだって仕事に専念するための環境が与えられなくてはおかしい。こういうおかしさを自覚しているトップや管理職ならまだ見込みはあるが、そうは言っても今日もバトン回しは続き疲弊する人が出てくる。

これは個人でなにがしかをしていても直面する問題である。腐った組織が末端まで腐るのは、つらいけどやるほかない人が多く間違いに終止符が打たれないので変化が起きないからで、下流に流れてきたヘドロは組織の外の下請けに吐き出される。このヘドロを別の会社や個人がが引き受けざるを得なくなるのも、媚びへつらうから原因にトドメが刺せないのである。こうして順調に界隈が腐るのである。

欧米はとか海外はと知ったふりをして言いたくないが、現代の日本が閉塞的状況になっている一因がこれだ。本来、同業をつなぐ労組や同業者組合のごとき組織は、こうした「やりたくない」の連鎖が及ばないよう闘う為にあるのだけど、誰か、どこかに媚を売るためまったく機能しない。なかには「やりたくない」はサボりだ、怠けだと言い出す輩までいる。なにもしなくても困らないのが天国であり理想なのであって、これを実現する為に組織というものが上から下へやりたいくないものごとを流すのだから、下流域であっても「やりたくない」があって当然で主張したってバチなんか当たらない。中流域から上流は、やりたくないものごとを自らやらなくてはならない状況に陥りたくないので下流の民が出世するのを抑制しているのだし。

最近、就活を指導する大学の学生部について色々考えざるを得ないなにがしかが多いので思うのだが、驚くくらい社会、会社、仕事、人生についてなにも知らないのだった。知らないくせに、就職率をあげる為に知ったかぶりをして学生を騙していると感じる。どうして就職するのか、就職する先の会社という組織はどのようなものか、人生において就職とは何を意味するのか、わかっていないので説明できず、第二次世界大戦において無策なまま若者を戦地に送った日本の軍部のように就職市場へ学生を送り出している。頭のよい子が多いはずの大学であっても就活生は人生経験が浅く社会を読み解く力がないのだから、大人が実像を見せてあげなくてはならないだろう。だいたいエリートが就職したのちに自殺したり、精神を病むようでは社会の損失でしかないのだ。理不尽な精神的肉体的暴力を学校で受けて登校しなくなるのは甘えで怠け、会社で無理難題押し付けられ長時間拘束されてもさぼってはならない、というあれこれはみんな根っこが同じなのである。

ま、これを言いたかったのだけどね。

私自身についていえば先が長いとは言えないだろうから、苦労はしたくないとはっきり宣言しておく。振り返れば小児だった頃の時間の長さが信じられないほど、10年、20年はあっという間に過ぎ去り、苦労したり、他人の尻拭いや金儲けのために実入り以上のことをして時間を有効活用できなかった後悔がある。こうして導き出した尺度として以下のようなものを使用するに至った。
1.やった上で死んでも悔いのないこと 2.やりたいこと 3.報酬または愉楽のためやりたいこと 4.やりたくないこと
目の前に現れるものをいずれに該当するか正直に当てはめる。1また2ならば後先考えず飛び込むのは当然だろう。3であったら、釣り合うだけの実入りがあるか検討して答えを出す。4ならやらない。死んでもやらない。もう無駄な労力と時間の無駄遣いはこりごりなのである。誰かがやらなければならない状況に追い込まれている企業なり個人が存在したとする。それなら、1または2となるようにするか、3なら見返りを十分に用意しなくてはならない。1または2なら、やりがいを搾取したとは言われない。こんな簡単なことを、やらせるほうもやるほうも理解できていないから人生が虚しくなるのである。

 

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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