ま、これもあるかなで始まる

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やっと再入院も万事滞りなく終わった。ああ、救急搬送から一ヶ月と少々、いろいろこちらは滞ってしまった。本来なら東北と可能だったら信越方面へロケに行きと計画があったのだが旅程に耐えられる状態ではなかったため中止せざるをえなかった。信越方面に行けなかったとしても、東北行だけで数百カットは押さえられ作品化するカットが十をくだらなかっただろうと考えると実に悔しい。なのだが、療養期間の思いつきでちょっとだけ新たな方法論を試せたのは怪我の功名と思いたい。

新たな方法論といっても大発見や大発明と呼べる規模のものでなく、ギャラリーに試作として掲示し、こちらにも画像を掲載した例の処理である。

試作 海景

試作 海景

 

こんなことを体の自由が効かない中ではじめて、やっている行為が正しいのか意味のないものか判断しかねた。なので入院中のぽかーんと空白になった日々の時間に判断を委ねたのである。あれこれ真面目に考えて答えが出るものでないし、ね。やっていることは三原色の位相を出したり引っ込めたりしているだけで、あとは狙い50%、偶然50%の産物だ。画像の上から色を塗ってもこんなふうにはならない。ほら、真面目に考えたってよいかわるいか答えがでないのだ。

入院中は点滴の針がなかなか入らなかったり、全身麻酔で意識が消えたり、尿管カテーテルの苦しみを味わったり、体にファイバースコープを入れたり出したり、治療器具を入れたり出したりで悶絶したり、看護師さんに下半身をお掃除してもらったりに忙しく、その他の時間は「からかい上手の高木さん」1巻から5巻を眺めて青春とは何ぞと思索し、あとはぼーっと無為に時を消費するだけだった。ほんと文字通りの空白期間だったのだけれど、やはり考えないことに判断を委ねるのは正しかった。エリック・クラプトンが麻薬とアルコール中毒の治療から復帰したとき過去からの何かがふっきれてオリジナルな作品が生まれたように、山下洋輔氏が結核治療での長期の入院中に「ジャズは何をやってもよいのだ」と確信できたように、先人の幾人もが空白期間を経て新たなスタート地点に立っている。それもこれも木を見て森を見ずの状態から脱したからだろう。私も入院中は写真を撮影して現像したい思いはあったけれど、個々の具体的なあれこれについて考える状況になかった。「しかたないなー」と寝っ転がっている他なかったのだ。

で、この方法論もありかなと結論が出た。誰かが「つまらない」と言ったとしても、「君はまだ何も気づいてないんだね。ハハハハ」と嗤えるくらい確信を得た。そしてもっと戦略的に、効率的に作品化する手段までひらめいた。よかったよかった。

私が広告の企画を立てる仕事をもっぱらやっていたとき、毎日のように打ち合わせがあり、サムネイルを出して感触を探り、ほとんど毎日のように徹夜しつつ、そこに新たなプロジェクトが舞い込んでくる状態で、いまから考えると実に低品質なアイデアしか生産していなかった。「いまから考えると」なんて言い訳以上も以下もない戯言で、ほんと後出しジャケンのような卑怯さがあるのだが、いまから考えるともっと素直に高品質なアイデアが次々と湧き出るのだ。これは何を意味してるのか、だ。ようするに「木を見て森を見ず」だったのだ。いくらマクロな視点に立とうと足掻いても、せいぜい脚立に乗ったくらいの高低差しか生じていなかったのである。「木を見て森を見ず」とはよく言ったものだ。

では、どうしたら森を見る視点を取り入れられるのか、だ。うーん、たぶん入院すればよい。冗談では、なく。実際には、そんなのは無理だ。だったら、工程であるとか日程であるとか義理をぶっちぎって、サボタージュするほかないのかもしれない。「加藤さんと連絡がつかない。居場所がわかる人はいませんか」的な状況をどーんとつくればよかった。他のスタッフが時間がないアイデアがないとハラハラして胃痛になっても、どーんと現実世界から蒸発すべきだったのだ。これができなかったところに、私の弱さがあった。甘さがあった。学校で習った「規則は守りましょう」に縛られていたのだ。誰かの事情なんて考える余裕なんてないのに、さ。

ここを見ている人は多数いて、このなかにクリエイティブな事案を取りまとめる仕事の人が幾人いるか知らないけれど、必死になって探しても連絡が取れなかった人がふいっと夜中に事務所に顔を出したとき許してあげてもらいたいのである。明日プレゼンという修羅場の夜中にふいに戻ってきても怒らないでもらいたい。いや、大人の事情として怒るのはよいし、無理にこらえて精神を病むくらいなら怒鳴ったほうがよいとしても理解してね、なのだ。結果がいつもいつも出鱈目だったらどうしようもないが、何か得るものがあったなら結果オーライと考えたほうがよい。そして、こうした人の蒸発グセをあらかじめ想定して、作業スケジュールを組んでもらいたいものだ。また、(これをやった結果がどうなるか保証しないけど)アイデアを出す人、作品的なものをつくりあげる人は、煮詰まりそうだったら蒸発しちゃってよいのではないかな。ちゃんと戻ってくる居場所を失わないためには、どかーんと突き抜けた何かをお土産にしなければならないプレッシャーがあるけれど、電話、小言、愚痴、日程を振り切って遠い世界に飛び出したほうがよいと思う。まちがってもクライアントと直接こまめなやりとりをしてはならない。コンプライアンス的な観点からしたら、とっても不誠実かつ政治的に正しくないのだが、ものをつくる、これまでにないものを生み出すのにコンプライアンスなんてものは屁ほども役立たないのである(どこかでバランスを取らないと、いつか存在を消されちゃうけどね)。

いまの私は「私が法だ」的なロートルだから、やっとぶっちぎりの蒸発をかますことができた。そして、得たものはココに書いたあれこれ以外にも多々あったのである。

なお、
の使い勝手については近日中に報告したいと思っている。なかなかよいかんじ、だ。

 

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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