Adrian Belew と King Crimson

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Burton Lo – https://www.flickr.com/photos/blo/292951237/

1970年代の解散から復活へ80年代のKing Crimsonはケチョンケチョンに批判され評価されなかった。「えっ、なぜ?」と私は不評だった理由がいまだにわからない。わからないなりに理由を想像すれば、たとえば「Island」あたりや「Larks’ Tongues in Aspic」から解散へとなる「RED」のKing Crimsonがまた始まると人々は考えていたのかもしれない。しかし、どんどん変わるのがKing Crimsonであったし、一枚めの「In the Court of the Crimson King」と二枚め「In The Wake Of Poseidon」の構成がそっくりだと文句を言っていたのがファンたちである。まあ勝手なのがファンというものだ(と納得してよいのかどうか)。

King Crimsonを率いるRobert Frippは「RED」によってバンドを解散させてから、ソロアルバム「Exposure」をリリースするほか The League Of Gentlemen としてバンドの形態でも活動をしている。時代はパンクとダンスミュージックに動き、Robert Frippはロックの本質をリズムに再発見したと考えるのが妥当ではないかと思う。ただ The League Of Gentlemen も「Exposure」も、これまでのKing Crimsonが明確なコンセプトとコンセプトのもと実現された音楽を残してきたことに比べ、手探りあるいは混沌とした様相の音楽である。ただ「Exposure」を完成させた後にRobert Frippの中で何かが一件落着し腑に落ちたものがあったようで、ポリリズムを弦のアンサンブルで、しかも人力テクノとも呼ばれるシーケンサーなみの正確さで演奏する「Discipline」期のKing Crimson再結成へとたどりついた。

「Discipline」期のKing Crimsonは、リズム隊に「Larks’ Tongues in Aspic」期のBill BrufordのドラムとTony Levinのチャップマン・スティックとベース、ギターにAdrian BelewとRobert Frippとなった。この編成でリズム隊とそれ以外と分担を分けるのは無意味で、ポリリズムで糸を織りなし音楽をつくりあげるうえですべてのメンバーがリズム隊であり、といった形態だ。この再結成に際して「Larks’ Tongues in Aspic」期の名ベーシストで名ボーカリストのJohn Wettonが呼ばれなかったことを当人がインタビューで愚痴ったりしていたけれど、彼が亡くなった直後にRobert Frippが発表した追悼リハーサル音源はまさに「Exposure」から「Discipline」へと繋がるものであったから、まったく相手にされていなかったのとは違うようだ。これは推測でしかないが、情緒的でエモーショナルな表現を得意とするJohn Wettonではなく、熱い演奏はするけれどクールなTony Levinが選ばれたのではないかと思われる。だって、ゴリゴリの変拍子をベースで弾きながら軽く歌えるJohn Wettonがポリリズムに対応できないとは考えられないし。Bill Brufordの硬質で正確無比なドラム、そこにベースの機能だけでなくギターの機能も持つチャップマン・スティックの第一人者であるTony Levin、シーケンサーのようにギターを弾くRobert Fripp、予測不可能な動きを見せるAdrian Belewという面子は、実に意図がわかりやすいし、いまとなっては他のメンバーは考えられない。Adrian BelewのボーカルはJohn Wettonのように声質と歌唱がすばらしくないが、肉声一般が情緒過多になるのをうまいところで救っている。

情緒性を捨ててロックをシンプルに解釈した結果が、パンクではなくポリリズムであったのはRobert Frippらしいところ。Adrian Belewの音楽性の根っこはメロディアスなロックにあるのは彼の活動を見ればわかるのだけれど、ギターで象の鳴き声やカモメの声を声帯模写する人であり、またブルースに縛られることのないキレた演奏をする人で、情緒性を捨てるうえで格好なギタリストだったのだろう。Adrian Belewが「RED」をライブで演奏する際に「どうして、この曲をあんなに楽しそうに弾くのか」と、ちょっと差別的に言えば「なんだアメリカ野郎」的な批判が日本の聴衆からあったけれど、「どうして」の回答は情緒性を捨てたバンドだからで終わる。ここがJohn Wettonがお呼ばれしなかった理由であり、Bill BrufordがベーシストとしてJeff Berlinを推薦しながらもRobert Frippが却下した理由でもあろう。Jeff Berlinは巧みなベーシストでBill Brufordとの共演多数だが、横に揺れるジャズの人であり、フュージョンのアプローチで演奏するベーシストはコンセプトに合致しない。

「Discipline」期のKing Crimsonは楽譜の縦の線を明確に、各楽器が弦楽器か打楽器か問わず一体にポリリズムを刻む。もちろんAdrian Belewもこの構成の重要な一員であるが、予測不可能なギターを繰り出す。それはフレーズ、音響、リズムで。King Crimsonを結成当時から振り返ると、オリジナルメンバーは別として予想外の人を起用している。たとえばfree jazz畑のピアニストKeith Tippett(正式メンバーでないが)、ベース奏者ではなかったBoz Burrell、見かけからして挙動不審の人でパーカッションのJamie Muir。Boz Burrellはボーカリストとして採用され、どうしてもベース奏者が見つからなかったため急遽Robert Frippが一から演奏を教えてベーシストとなったイレギュラーな存在だが、Keith Tippettは高い音楽性を持ち柔軟な思考の人であるがあきらかにジャズ畑からの採用であるし、Jamie Muirもまたそうだ。Keith TippettはRobert Frippと異なる方法論を巧みに唐突に繰り出しているし、Boz Burrellはバンド分裂に発展するくらいRobert Frippと相容れないものがあり、Jamie Muirは「Island」で煮詰まったFrippのみならず「Larks’ Tongues in Aspic」から現在に至るまでのKing Crimsonを破壊的に構築した貢献者だ。たぶんRobert FrippはJamie Muirの貢献から同じギタリスト同士としても制御不可能なAdrian Belewを加入させたように感じる。

Robert Frippは独裁者のような言われかたをするが、まったく違う。彼は彼自身を、「放っておくと均整が取れたものをつくるが、これだけでは足りない」と自覚しているのではないか。Robert Frippはシーケンサーより正確ではないかと聞こえる高速分散和音だけでなく、歪みきった音でエモーショナルな演奏もする。そういう曲も書く。しかし、自分が予想もしない破壊行為が音楽を面白くするのを知っているのだ。だからAdrian Belewなのだ。

現在のKing Crimsonはドラムを三人から四人へさらに増やし、これまで入念なリハーサルのうえでアルバムを発表していたのと異なり、ライブ主体の活動をしている。過去から現在に至るまでの曲をかなり満遍なく演奏しているのも、いままでと違う。ともすると懐メロ大会とも解釈されるだろうが、私には過去から現在までのKing Crimsonを聴衆の反応を得ながら再確認・再構築しているように思える。だが演目のなかで「Discipline」期の曲は印象が薄い。正確に比率を割り出していないが、取り上げられる曲数も少ないのではないか。Robert Frippは彼自身の会社でもあるDGMのWEBページで、80年代「Discipline」期をかなり重要なものと位置付けている。したがって軽視している訳ではなさそうだ。だが、現在のKing CrimsonのメンバーにAdrian Belewはお呼ばれされず、オリジナルメンバーでドラムのMichael Gilesの娘婿Jakko Jakszykがもうひとりのギタリストとボーカルとして参加している。Adrian BelewはRobert Frippから「こんどのKing Crimsonは君に向いていない」と言われたそうだ。

Robert Frippは80年代のKing Crimsonを再確認・再構築する必要性を感じていないのかもしれない。そして、再確認・再構築するうえで飛び道具というか制御不能なアイデアを持つAdrian Belewは求められなかったのかもしれない。しかし何があろうと同じことの繰り返しが大嫌いなRobert Frippは、ドラムつまりリズムの強化(にしてもだが)と繊細化のためドラムは通常の編成よりかなり多くした。ドラマーを増やすアイデアは90年代再々結成時のPat Mastelottoの参加からのものだろうが、このときはPat MastelottoとBill Bruford、ベースまたはチャップマン・スティック(あるいはワーギター)のTony LevinとTrey Gunnが互いの演奏の出すところ引くところを意識せざるをえず演奏しにくかったという。だったらドラムを三人または四人にして、リズムの構成要素とビートを分担させたり特化させればよいだろう、というのが答えだった。リズムこそロックの核であるとするのは、ロックをシンプルに解釈した結果の80年代「Discipline」期以来である。

Adrian Belewが新規King Crimsonの予定がありながら他の仕事をダブルブッキングしたのをRobert Frippが許さなかったとする話があるが、実際のところどこまでが本当なのだろうか。もしダブルブッキングがなければ、「こんどのKing Crimsonは君に向いていない」なんて流れにならなかったのだろうか。また現在のツアーでの演目も違っていたのだろうか。過去からの一切合切のKing Crimsonを再確認・再構築しているように聞こえるツアーは、あくまでも結果論にすぎないのか。Adrian Belewはローカルな活動を除けばFrank Zappのメンバーへの抜擢にはじまり、瞬く間にDavid Bowieのサポートメンバー、Talking Headsのサポートメンバーへと上り詰めてKing Crimsonのメンバーとなったが、参加していた期間が長いこと、キャリアが充実していた時期であることもあるが、King Crimsonでの仕事がもっとも成果が豊かなように感じる。ソロアルバムは多数だが、やはりKing Crimsonでの活躍がもっとも才能を出し切れていて、しかも成功しているのではないか。こういった人だなんて私に言われたくないだろうが、存分に暴れられ破壊しつつ構築する器が必要な人なのかもしれない。

結末をAdrian BelewではなくRobert Frippで締めるのは反則かもしれないが、どうしても考えずにいられないことがある。Robert Frippは「放っておくと均整が取れたものをつくるが、これだけでは足りない」と自覚しているだろうが、彼自身が破壊的なギターも弾き、音楽からキャリアまで過去をぶっ壊しつつ前進する人であるのは驚異的である。自分が構想したものを内部からぶっ壊しかねないAdrian Belew他の人材をメンバーにすることがすごい。月並みな予定調和な演奏に傾いたら「ほら、もっとぶっ壊してよ」と言いそうである。「Island」期は彼以外がブルースに走り、汚らしくも壮絶な演奏になり軌道修正が効かなくなりバンドは分裂したが、まったく懲りていないのである。いや、この経験から緊張状態を極限まで高めつつも得るもののない空中分解を避ける方法論を学んだのだろう。いやはや、だ。

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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連絡 CONTACT

・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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