モノクロームと遠近感

前回、モノクロームのコントロールと題してモノクロ化した画像で「色の対比を多様な明暗比に置き換える」方法を書いた。重要なテーマなので「色の対比を多様な明暗比に置き換える」この一点は何がなんでも抑えておくべきと私は考えている。

写真は二次元の画像だ。二次元の世界で奥行き方向を表すのは消失点に収斂される線、面と空気遠近。あとはモノゴトの在り方の記憶で補完される遠近感だ。補完される遠近感とは、どういうことか。私たちは鉄道というものを知っている。線路はずっと遠くへ連なっていることも知っている。線路を描く絵の遠近法が崩れていても、描かれている線路が奥行き方向に向かっていると理解できる。これは記憶で補完された奥行き方向の在り方だ。高さ方向の奥行きについて言えば、パース補正をした建築写真は本来の見え方とまったく違うが、むしろこれが正しいと私たちは感じる。この場合のパース補正は、私たちの記憶にある遠近感の在り方を模倣していると言える。

なぜこんな話をしたかと言えば、色の対比を多様な明暗比に置き換える意識と手法はディティールをどう表現するかの話にとどまらず、遠近感にも大きな影響を与えるからだ。風景を撮影する、風景を背景にする、となったとき遠近感を構成するものがどうしても乏しい場合がある。さらに彩度が抜けただけのモノクロ画像は、色のコントラストがなくなる分だけ平面的な印象、茫洋とした印象になりがちだ。写真を初めて間もない人で、モノクロはつまらないと感想を抱く者が確実に存在するのだが、色の華やかさがないつまらなさだけでなく色の対比が失われた世界観ののっぺりした空間がつまらないと思っているように推察される。

写真の場合、絵画と違い遠近感を醸し出すのは難しくない。わざわざ遠近法を学習しデッサン力を高めなくても、レンズがありのままを記録してくれる。また遠近感の強弱は、画角の違うレンズを使うことでいとも簡単に実現できる。このため「遠近感」「パース」と口にする頻度は高くても、せいぜい頭でっかちなポートレイトを撮影しないためのテクニック程度の知識で終わり、真剣に遠近感について考える撮影者はほんとうにすくない。その証拠に、ボケという写真ならではの現象と表現が仮の空気遠近であると自覚している人は皆無だ。

前回掲出の風景をもう一度、見てもらいたい。

曇天の海岸だ。わかりやすい奥行き方向の消失点はない。建築物など形状や在り方が記憶されている物体もない。それでも奥行きを感じるとしたら、私たちが知っている海岸の在り方の記憶を、この写真に重ね合わせているからだ。記憶を頼りに奥行きを感じているので、単に彩度を抜いただけのモノクロ写真にしたとき茫洋としすぎてますます奥行き感を感じ取りにくくなる。

ここで過度に「色の対比を明暗比に置き換えた」写真を再び掲載する。どのような方法で明暗比に置き換えたか、前回の記事を読んだ人はわかるはずだ。

「ダイナミックな写真」と口で言うのは簡単だ。ダイナミックとは何かとなればかなりの頻度で、遠近感表現についての感想なのだ。誇張される場合も、圧縮される場合もだ。前出の写真で言えば、雲の明暗の様相から手前から奥への遠近がはっきり表現され、水平線までがいかに遠いかはっきりしたことによってダイナミズム=動感が生まれた。

次に空気遠近について考える。

まず、物体が消失点に向かって小さくなっていること、私たちが記憶している物体そのもののサイズと形状の記憶によって遠近の位置の関係がわかること、この二つで遠近感のダイナミズムが失われていないモノクロ画像を例示する。

空気遠近は遠くに存在するものは「かすんで見える」現象だ。これを絵画に取り入れるなら空気遠近法となる。西洋絵画だけでなく、水墨画のぼかしもこれだ。現実に存在するものであるから意識しなくても写真で撮影することができる。写真表現のうち、背景を省略して主たる被写体を引き立てるボケの手法は誰もが知っているし誰もが試したことがあるはずだ。ボケで邪魔なものを省略するにとどまらず、このボケそのものが「かすんでいる」「視野内にあるがどうしてもはっきり見えない」ことで、主たる被写体の背後にダイナミックな奥行きがあることを暗示する。


ピントが合った位置からいきなりボケが強烈にはじまると、なぜ違和感があるのか。このような特性のレンズに違和感を覚えるのか。それは空気遠近が距離に応じて平均的にかすんで行くからだ。そもそも私たちの肉眼ではボケを見ることができない。なにかに目の焦点を合わせても、その背後、その前方にボケが見えるなんてことはない。視野内にはっきりしない領域はあっても写真のようなボケではない。ボケはあくまでレンズを用いる写真ならではの描写だ。それでも写真のボケが自然に感じらるのは、繰り返し書いたように空気遠近のシミュレーションのごときものだからだ。このシミュレーションが、ピント位置からいきなり強烈なボケになったら、自然界の空気遠近と違う違和感が生じて当然なのだ。

モノクロの場合、「色の対比を明暗比に置き換える」過程でややもすると遠近感を構成するものがどうしても乏しくなる。ボケと、主たる被写体との違いが乏しくなる可能性がある。明度が似ていたらなおさらだ。また対象に対して中途半端なワーキングディスタンス、中途半端な焦点距離のレンズを使用するとがっかりな結果になりがちだ。だがそうせざるを得ない場合が多々あり、後処理で背景にマスクを切る方法もあるが、(マスクのふちや、前述のピント位置からいきなり変化する)境界を目立たせず明度を自然に変える方法は前回説明した。

空気遠近を生み出すのは、水蒸気やチリによる可視光線から紫外線の乱反射だ。紫外線の影響が大きいため、かつてのモノクロ撮影では赤系のフィルターで遠方の光の乱反射を除去した。こうした濃度が高い赤フィルター使用のモノクロ写真が尋常ではない感じなのは、遠方にあるものは多少なりともかすんでいる自然界の在り方に反しているからだ。だから特殊効果として用いられる。

赤フィルターを装着していないが肉眼による視界と違うことで、遠近の感覚に尋常ではないものを与える写真がこれだ。

人間の感覚を裏切るのも写真表現のひとつだ。この写真がカラーであったなら、いくら遠景のコンビナートや富士山がはっきりしていも違和感は小さい。モノクロ化する際にコンビナートを明度が高い白に置き換えたこと、背景をダークにしたことで空間内のどの位置に存在するか実際と異なる感興を与えている。

写真は言葉を使用しないコミュニケーションだ。したがって写真的語彙力がどれだけあるか重要だ。モノクロ化は自然界から色を抜いた世界を二次元に落とし込む作業なので、さらに使える写真的語彙が減る。だがモノクロ化によって使えるようになる語彙もまたある。語彙力が低下して「たーのしー!」「すごーい」くらいしか言えない写真では、写真を謳歌できないはずだ(それはそれでありかもしれないけどね)。

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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Profile

F.Hiro.K
加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato a.k.a Hiro.K
写真家・作家 / Photographer Author
・北海道北見市生まれ。
・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。
・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。
・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他)
・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。
・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材、MIT Museum 収蔵品撮影 他。
月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。
・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」他、小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。
・獅子文六研究。
・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。
・各メディアにおけるスチル撮影。
・オリジナルプリントの製作、販売。
・JSAHP正会員
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