再び再びデジタルくささについて

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前回「さらに」と題しながら前々回に紹介した処理を超えた作業に大きく踏み込めなかったので、今回は続きである。

かつて4×5、5×7、8×10など大型のシートフィルムを用いる大判写真こそ、リアルな写真的描写の代表格だった。理由は、印画、印刷における拡大率が小さかったからだ。写真がデジタル化して何が変わったかといえば、大判がそうであったようなフォーマットサイズと細密描写とが無関係になり、画素密度、画素数がだいたいにおいてリアルな描写の鍵になった点だろう。そして、とうの昔にデジタルカメラは大判フィルムがアウトプットする画像の緻密さを抜いている。

ところがアウトプットされる画像が細密・緻密になってよかった点と、生理的に違和感を覚えることが増えた点があり、技術の進歩はなかなかに難しい問題をはらんでいるものだ。しばしばポートレートで毛穴や産毛まで写るとされるが、これは大した問題ではないように私は思うし、これらをどうにかする手段は事前事後ともにいろいろある。私がどうしても馴染めないのは、リアルすぎて「つるんとした」描写が曖昧な背景とギャップを生むときや、背景等と関係なく人工物が(やはり剥きたてのゆで玉子のようにつるんとして)浮き立って見えるときだ。このような描写はオフセットやインクジェットでは分解の過程や紙質の兼ね合いから緩和される傾向があるが、ディスプレイに描画され、特に4K超えした液晶に映し出されると強調される。

こういった「剥きたてのゆで玉子のようにつるんとした」描画を生々しいと言ってよいのかどうか。リアルさの生々しさというより、調理前の生っぽさを感じる。はたして私の感覚が伝わるか、はたまた人それぞれ違うディスプレイで伝わるか、ちょっと自信はないが例示してみたいと思う。以下は捨てカットから。

これでよい、とする人もいるはずだが私には手前の標識灯の塗装された柱や、LEDの発光部を覆う透明なカバーが「調理前の生っぽさ」を覚え気持ちが悪い。私の写真はあれこれいじっているように思われるかもしれないが、他人が想像するほど何らかのエフェクトを駆使している訳ではないので、存在そのものが「剥きたてのゆで玉子のようにつるんとした」ものがそのまま写っているとも言える。が、どうにも落ち着かない描写だ。描写以前に捨てカットなのだが、コントタクトシート感覚でディスプレイで見るなり質感のありようにげんなりした。

なぜ、生っぽいのか。フィルムは銀塩粒子が不規則に分布し、さらに粒子のサイズがまちまちなので、大判がいくら密着焼きで鑑賞できるといっても明部も暗部もざらっとした感じがあるのに対して、デジタルではあまりにきれいに写りすぎているのだろう。また、大判フィルムの広大な面積をイメージサークルとする大判用レンズは、焼き付けだろうと印刷だろうと拡大率が低いか縮小されることもありライカ判や中判用とくらべ圧倒的に解像度が低い。こういった要因がからみあって、デジタル写真に生理感覚を裏切る生々しさを感じるのだろう。現在のデジタルカメラ用レンズは、20年前のものと比較しても恐ろしいほど描写能力が高いのだし。

私は前述のように「人工物が浮き立って見える」とき特に違和感を覚えるが、他の人にとっては別の物体に「これではない感」があるかもしれない。デジタルだからダメ、フィルムは無条件によいとはまったく思っていない。フィルムへのノスタルジーや新しいものに乗り切れない鈍麻した感覚が、違和感の正体ではないはずなのだ。

いずれにしろ被写体を見たとき感じたときの記憶と違いがある故の違和感であるから、記憶に近づけるのは撮影意図を反映させるための処理だ。例示した「違和感」を減らすために、明瞭度(クラリティー)を下げて解像感やコントラスト感を低下させるのは一見理にかなっているように思うかもしれないが逆効果である。こうした(私流の表現で言うなら)つるんとした生っぽさが、むしろ強調されたり、相当強く効果をかけない限り見た目上の変化が起こらない。相当強く効果をかけて改善されるならよいが、強調されたり、別の違和感を生じさせるなら悪手である。

対処は時と場合によるのだが、「ざらつき」または「質感を過大に強調」する方向に現像の戦略を向かわせたほうがよい。ひとつの方法として違和感のある部分をマスクして明瞭度をあげるのもあるが、Capture Oneを使用しているならクラリティーに併設されている「ストラクチャ」(旧名称/構成)をあげたり、それでも足りないならシャープネスをあげる。ストラクチャの機能はシャープネスに用いられるアンシャープマスク類似のもので、ディティールを構成する単位ごとを際立たせる。Capture Oneを使用していないなら、アンシャープマスクをかけることになる。アンシャープマスクなどシャープネスを高める機能は、物体の輪郭部に明るい線を与えて分離をよくするデジタルならではものだ。通常は明るい線の発生を嫌いなるべく使いたくないものだが、塩梅を見なければならないとしても過剰気味にしたほうが「ざらつき」というか汚しが入り生っぽさが消える。

ここから先は禁じ手にしている人もいるだろうし、これをやってはならない発表媒体もあるが、「汚し」を描いて違和感を減らす。両方の手法で処理したのが次の画像だ。「汚し」はPhotoshopで塗料のハゲを描いている。このサイズ、しかも人それぞれ違うディスプレイでは差がわかりにくいかもしれないが。またそもそもが捨てる前提の画像なので、いくら効果を加えても、やっただけの作業が生きているとは限らない。

作品的価値は別の問題として、こういう手立てもあるという例だ。Photoshopで「汚し」を入れる(描く)ことに賛否あるだろうが、撮影意図がそこにあるなら私は(報道やルポルタージュや記録ではない「作品」なら)肯定派である。まあ時と場合ではあるが。汚しを描くというから抵抗があるのだろうから、ディティールを強調するため細部に抑揚をつける(彩度であるとかコントラストであるとか輪郭強調であるとか)に留めるのでも悪くないだろう。そのために細部にマスクなりの処理をして、いろいろコントロールすればよいのではないか。何らかのノイズを発生させてもよいだろう。

 

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なり人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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