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選択の機会があるとき、人は違和感のない物事を選ぶものだ。これはこれで正しい。きっと間違いがすくないだろうし、大きくがっかりすることもないだろう。たとえ物事が失敗に終わっても、だ。しかし、企画を通すための案を選択するとき、買い物をするとき、作品をつくるときは、すこし違和感がある物事を選択したほうがよい。
違和感とは何だろうか。自らの常識や経験からはずれたものが醸し出す雰囲気が違和感だ。違和感は嫌悪感とは違う。嫌悪感とは、自らの常識や経験と照らし合わせたときどうしても受け入れられない物事から生じ、ここに感情が伴うと憎悪になる。あえて嫌悪感まで踏み出す必要はない。心がざわっとする「何か違う」感覚である違和感は、新しい発見と経験をもたらし、新しい世界へ踏み出す一歩になる。
男性ならネクタイを選択する例をあげれば理解しやすいだろう。世の中にネクタイの幅、柄、色は無数にあっても、クローゼットにぶらさがっているネクタイは自分の常識や経験を裏切らない似たりよったりなものばかりになる。まさに固定観念そのもの、固定観念の陳列である。ところが自分ではけっして選ばないネクタイをプレゼントされ、試しに首元に締めてみると案外気に入ったりするものだ。私はあるときまでキャラクターを文様化させたネクタイなんて、と思っていた。ミッキーマウスが散りばめられたネクタイをもらったときは、ミッキーマウス嫌いもあっていやはやという気分になり、どうしたものかと思った。ところがキュッと締めてみたら存外によいものだった。自分を縛り付けていた規制がひとつ解けたのだ。
プレゼンが全戦全勝でも、黒星続きの角番大関状態でも、プランニングに違和感を持ち込むべきだ。全戦全勝なら、ここでさらに勝ち進んでも案はマンネリであり、アイデアの枯渇であるとか手抜きとさえ囁かれだろう。その道の大家になるまえに、「もういいよ」と拒絶される日は近い。黒星続きの角番大関状態なら、ここで冒険はしたくないだろうが、これまで受け入れられることがなかった理由はあとひとつ図抜けたものがないからで、突出できないのは自らの常識や経験から一歩先へ進めていないからだ。
あくまであと一歩であり、嫌悪感や憎悪を感じるところまで飛躍しなくてもよい。保険をかけていつもどおりの選択を残してもよいが、自分にとっての第一選択は違和感のあるものにする。このようにすることで自らの感覚・感性の領域が広げられ、結果として守備範囲が広くなる。
Fumihiro Kato. © 2017 –
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