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これで何回目になるだろうか、また人物の肌色の話である。
私たちの色の感覚と記憶のうち、もっとも敏感で正確なのは人物の肌に対するものだ。木々の葉の色や金属の色調が多少どころかかなり狂っていても、私たちは見過ごしてしまうか納得して終わる。ところが人類の各民族個々の肌色に関しては、わずかな異常さえ瞬時に感知する。「顔色が悪いですね」という、アレだ。「顔色が悪いですね」は血の気がわずかに引いているにすぎないのだから、人類の肌と無縁な色がすこしでも加わっただけでも「不気味」に感じる。色を精密に検出するセンサー以上の能力だ。
したがって人物や人物込みの撮影をするとき、人物以外のナニカの色を忠実に再現する目的があったとしても、肌色をいかにそれらしく描写するか問われる。光源が5000K前後ではない場合も、電球光その他の状況であると示しつつも人の肌色は肉眼の感覚を裏切らないようにする。もちろんルポルタージュや芸術的表現として違和感を残すのも手法だが、そういう場合は「ルポルタージュ」「芸術的表現」が見るものにすんなり納得されるだけの絵作りをしなければならないだろう。
私は光源、レンズ、現像で目的にかなった意図する肌色の再現をしている。
まず光源から。ストロボを使用すれば光の色温度を一定範囲に収めることができる。またストロボが便利なのは色温度だけでなく演色性のよい光だからだ。もし青から赤に連なる光の波長のうち、自然光と比較して何れかの波長帯が少なかったり多かったりすると物体がくすんだ色やバランス悪く派手な色に見える。トンネル内のオレンジ色のライトの下で人間の肌色が不気味なグレーに見えるのは、上記が理由であり演色性がきわめて悪いことによる。
次にレンズ。レンズは、硝材とレンズごとの硝材の使い方、コーティングによって固有の色調傾向を帯びる。いまどきはメーカーが個々のレンズをなるべく一貫した色調傾向に収めるようレンズを設計・生産している。なので、同一メーカーのレンズを使用している限り、裏切られるほど色の再現性が異なるケースはないと言える。問題は、使用するレンズに異なるメーカーのものが混在するときだ。また、同一メーカーのレンズを使用する際であっても、その色調傾向を頭に入れておかなければならない。
私は最近のタムロン製レンズを好ましく感じる。例の35mm、45mm、85mmだ。で、使用しているボディはニコンであり、ニコン製レンズの発色はドノーマルというか私にとっての標準である。ここにタムロンを混ぜると発色に差が出る。どちらが良い悪いというのではなく、違いがあるのだ。こうなると色々と工夫して画像をつくらなければならなくなる。もし工夫する手間を省くなら、やはりレンズは同一メーカーで統一して使うべきだ。タムロンは黄色から赤の手前にかけての波長成分が多く、そういう意味では暖色傾向にある。
暖色傾向のレンズはタムロンに限らず人物撮影に向いているとされるのは、黄色から赤の手前にかけての波長が人の肌の色を支配するからだ。だが暖色傾向のレンズを手放しにポートレイト用と言えるかとなれば、NOだ。暖色傾向のレンズは個々に差があるとはいえ、(光線の)条件次第で肌の黄色成分が強く出すぎる場合がある。肌色を桃色寄りにもうすこし傾けたいと感じるくらい、黄色が浮くのだ。かつてのタムロンはこの傾向が顕著で、最近は随分御しやすくなった気がするが気を使う場合がある。ツァイスはどうかというと、また別の傾向を帯びているといった具合でありレンズとアウトプットする画像の色調は一筋縄では取り持てない。
光源とレンズの間を取り持って肌色の色調を統一するツールがRAW現像ソフトだ。私はCapture One 9 を使用しているが、スキンートーンと呼ばれる調整ツールがとても便利だ。これは肌色をサンプリングして個別に調整するツールなのだが、詳しい使い方はCapture Oneの解説を探してもらいたい。このようなツールを含むソフトでなかったとしても、冒頭に書いたように人物の肌色と忠実に再現したい他のナニカの色を両立させる操作はRAW現像時に行う。人物と他のナニカ、いずれを重要視するかで基本的な色調傾向を大まかに決め、人物の肌色については感性から逸脱していないか調整することになる。光源、レンズ、現像は三位一体なので、それぞれの特性を熟知しておかなければならないだろう。
Fumihiro Kato. © 2016 –
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