Sayonara Yokosuka の頃

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Sayonara Yokosuka のシリーズは上京したばかりの1984年に撮影を開始した。この年の10月に20歳になるのだから未成年だった時期のものも含まれる。横須賀への興味が上京時に存在したかと言えば否だ。このとき暮らしていた場所は東京都大田区東馬込。最寄りの地下鉄浅草線が京急と相互乗り入れをしているため、とにかく西へ、海へと神奈川方面に向かい撮影しつつ横須賀に出会った。なお、Baroqueシリーズの80年代分は東馬込の白百合荘で撮影、現像、引き伸ばしまでしたものが含まれる。Sayonara Yokosuka の終焉の契機は助手仕事をはじめたり、媒体に売り込みを行い仕事をもらったことだろう。年齢と出来事を一対で思い出せないので、この文を書きながら逆算したのだが22歳までにSayonara Yokosuka を終了した。ぼちぼち仕事をもらうようになり、カラーは別としてモノクロは現像から焼き付けまで一貫して手仕事を続けたので、暗室作業に時間を食われたとも暗室作業に凝って模索していたとも言える。
使用機材はライカ判で85mm F2 と28mm F3.5の二台持ち、バッグの中に 20mm と 200mmだった。後期はカメラがミノルタからキヤノンに変わる。広角はほぼ目測、85mmもとっさの状況に対応し撮影するケースが多かったので目測が多い。「Sayonara」だけに後ろ姿の人物が多いのだが正面からのものある。テーマを決めて撮影するのは、この頃からの習慣だと思い出した。

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Sayonara Yokosuka 80 ‘s

Fumihiro Kato.  © 2016 –

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・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画、取材 ・Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告 武田薬品工業広告 ・アウトレットモール広告、各種イベント、TV放送宣材 ・MIT Museum 収蔵品撮影 他。 ・歌劇 Takarazuka revue ・月刊IJ創刊、編集企画、取材、雑誌連載、コラム、他。 ・長編小説「厨師流浪」(日本経済新聞社)で作家デビュー。「花開富貴」「電光の男」(文藝春秋)その他。 ・小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・「静謐なる人生展」 ・写真集「HUMIDITY」他
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